しっぽ切り始まる。
この国の政府は、市民からの徴収は、「政府自らの手」でえげつなく『きちんと』行うが、いざ使う事となると、どこ一つ取っても「政府自らの手」ではやらない。
やれないのではなく、やらない。
なぜか?
それは、入札→親請け→子請け→孫請けの流れで、親から子から孫から『きちんと』バックペイを得ていくシステムが上流市民にとって都合がいいからだ。
これは、理事・役員として受け入れた元役人たちの天下りの手当名目を含む請負い費を、事務費として『きちんと』ゲットし、下に『下げ渡す』飯の種。
この儀式の総額は、各々が最低10%近くマージンとしてシェアするとして、おそらく国が親請けに支払った額の30%以上となり、実際に市民が受ける分配は70%以下いや半分近くと大いに目減りする。
無論、親子孫の受け取りの一部は、その政府を支える政党や政治家に『きちんと』政治献金される。
政治献金とは『賄賂のマネーロンダリング』に他ならないのだ。
これが、竹中平蔵の云う『新自由主義』システムのエンジンでありガソリンでもある。
公的事業をどんどん自由化しようとするのは、この歪んだシステムをさらに安定した集金マシンとして拡大させるためなのだ。
言ってみれば、『勝ち組にとっての社会主義』が『新自由主義』の実像なのだ。
負け組はこの『社会にとっての』罪悪で、こっぴどく非難され、排他され、生存の自由を剥奪されていく。
世界中いたるところで、理想的な社会のあり方の追求が、とくに、21世紀に入り、『命より金儲け』にかわってしまった。
これが『自己責任』という言葉の持つ『核』に他ならない。
さらに、社会による『個人攻撃』がその社会を黙らすという、悪魔の輪廻に世の中は進んでいる。
残念だ。
一国の総理大臣や大統領が、私たちの価値観による社会には、『あなたはいらない』と『平気で』言い出す時代になってしまった。
余は、こんな腐った時代を、『新自由主義という新封建社会主義時代』と呼んで、ため息をつくのみだ。