巷では、感動的だともてはやされている、菅の弔辞に文句を言うつもりはないが、菅の鬼のようにクールな心の一面を感じてしまったのは、わたし一人ではないだろう。
それは、菅の安倍に対する「友人代表弔辞」の最後をくくる、山県有朋の弔歌のくだりだ。
菅は、今の自分の思いを詠んだ一首だと言い切った。
「かたりあひて尽しし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」
山県の弔歌の相手は、ご存知、明治四十二年にハルピンで銃撃され、そして、死を得た伊藤博文だ。
全く同じ、客死で暗殺。
しかも驚いたことに、菅はこの歌を載せた新書本は、亡くなられた安倍の議員会館の1212号室の机の上に、読みかけのママあったと言うのだ。
さらに、嘘のような話だが、ご丁寧に、この歌にマーカーで線が引かれていたと言う。
安倍は自分の運命を知らず、二階とか麻生の時にでも使うつもりで、皮肉にもこの歌に線を引いていたのかもしれないのだ。
・・・・
しかし、菅は安倍に対する「友人代表弔辞」のシメの言葉に、一種異様でグロテスクなこれらを事実として淡々と使用した。
安倍も菅も、どっちも、怖いだろ。
まるで小説のような話だ。
それに
さらに、
だってさ。