おもろ5

蓮杖の支店はふじやの二階を借りて・・

たいしたことではないが、たいしたもんだよ「下岡蓮杖の支店の写真」。

ちなみに、「影楼」とは、中国語で「写真館」とか「写真スタジオ」の意味で、「ィヤン・ラォ」みたいな発音をする。

するってーと「相影楼」は「相模の国・撮影スタジオ」と言う意味かもしれないなんて・・思ったり・・
はたまた・・ビジネスパートナーのショーヤー(ショイヤー)を「相」に当てて・・「ショーヤーの写真館」の意味だとか・・想像する・・
なにせ、傍らの英文看板がドーンと光ってるもんで・・ね。

こうして・・また誰かにおこられる・・でもいいのだ・・庵主はアマチュアだから・・

普通に観察すると・・
つまり・・丸太ふじやの二階を借りて・・蓮杖とショーヤーの BRANCHI HOUSEがあった・・となりますが・・これがとても自然な解釈だと余は思う。

ところで上の写真の中の貫禄のある洋装の人物は、Photographerの下岡蓮杖先生とお見受けするがいかがでしょうか。
右の断髪後の蓮杖先生とくらべ、同時期かやや前後しても、お店の写真の蓮杖先生は明治の四・五年以降のように見えますがいかがでしょうか・・

また、「全楽堂」は渡辺崋山の号でもあることは有名。
下岡蓮杖は、出自下級武士で画家として一時生計を立てのち蘭学をなし日本人の目を世界に向けた渡辺崋山に、おのれの境遇を渡辺崋山にダブらせて「全楽堂」をあえて名乗ったのかも知れぬ。開国期に下田の外交の現場で働いた蓮杖にとって先人渡辺崋山は憧れの人物であったことは十二分に想像ができる。

こう考えて、改めて写真を見ると、下岡蓮杖の「全楽堂」とショーヤーの「相影楼」が対比的に一つひとつの個性として見えてくるわけです。

今までいわれている、なんでもかんでも蓮杖蓮杖なんていう説は、合理性もなく陳腐で想像力に乏しい説であることが、やっとお解り戴けると思います。