おもろ37 付録

天国の井上俊三に代わりて 三角形の光(8)最終章

光漏れのシミュレーション

坂本龍馬写真から

坂本龍馬の写真から構造的な光もれをシミュレートすることにより、上野彦馬の写場の構造をシミュレートする。

上野彦馬の写場の構造的特徴を集める。

上野彦馬の写場で撮られた写真から、構造的な特徴をピックアップする。

一枚は坂本龍馬の立ち姿の写真。

二枚目が写場の敷板の状態がはっきりわかる女性七人の集合写真。

三枚目は大隈重信ら佐賀藩の侍九人の集合写真。

四枚目は龍馬写真と同様の光漏れがある外国人教師と生徒たちの集合写真。

五枚目はまるで光漏れをデザインとして演出利用したかとも思える写真。

以上により、帰納的に上野彦馬の写場の法則を見つける作業を行う。

次に、坂本龍馬写真が撮影されたのは「何時か」がキーとなる。

坂本龍馬は慶應三年一月九日に下関から長崎に着く。

その後、二月八日か九日まで、丁度一ヶ月間長崎に滞在する。

この間土佐藩時代の友人溝渕広之氶を介して、土佐藩重役後藤象二郎と面会する。

龍馬は、前年に土佐藩脱藩の罪は許されるており、藩の重役後藤象二郎と忌憚なく身分差も関係ない状態で会談している。

一安心から、国本の姪や姉にのんびりした内容の手紙と長崎名物?などを送っている。

この時期については、明治期に入ってのことだが、元海援隊士の記憶として「一月」に撮影されたとした記録がある。

以上の状況から、慶應三年一月説を採用する。

再現作業。

三角の光が写真のようなポジションに出るシミュレーション。

仮説:上野彦馬の写場の構造は、おおよそ四畳半のスペースであった。

仮説:慶應三年一月二月の滞在の、中間日の、慶應三年一月十五日(西暦1867年2月19日)を採用。

二つの仮説をもとに、太陽の時間移動条件をクリアし、坂本龍馬の写真に写る光漏れを再現することができる。

これにより、演繹的にタイムトライアルをし、条件合致タイムを絞り出す事とした。

結論として、

指定の日で、指定の構造では、
この光漏れができるのは、10時27分ごろだ。

または、

指定の日で、指定の構造では、
10時27分ごろ以外、条件に合った光漏れは出来ない。

と、いう事でこのシリーズはおしまいです。

       2025年11月9日 記

Nagasaki in 1867

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