明治元年十二月八日、木戸孝允は、天皇の京都還幸出発の見送りの帰り、彼のスタッフとともに、芝神明社に詣で写真を撮っている。日記には写真師の名前までは残念ながら記録が無い。明治十年の懐中東京案内には、門前の芝宮本町に羽田義正というものがおるが、えらく時代の隔たりがある。また、明治十三年に田中武という写真師が、芝神明内で開業とあるが、その前のことは全く解らない。一部には写真師のシールや印刻などが箱ケースに押されていたりはするが、たいていの場合、撮影の年月日などは、写真を撮ったお客が、木戸さんよろしく「何処何処の誰それにて写真」なんて箱書きがあって、何処何処と解るのが普通である。鶏卵紙のプリントを台紙に貼って提供するようになり、写真師は自分の写真館の宣伝をかねて、立派な台紙を使い出す。人様の生活もだんだんと明治という時代に慣れてきて、やっと明治という時代の顔になってくるのである。