イギリス、ロンドン・ニューズ社の特派記者として来日したチャールズ・ワーグマンはたいへん日本が気に入りました。
文久三年には、かわいい日本人の奥さんをもらいました。これがその奥さん小沢カネのワーグマンによる肖像画です。
彼は、高橋由一や芳柳次男の五姓田義松らへ油彩を指導、大きな影響を与えました。
日本語も堪能で長州弁と薩摩弁を使い分けたということです。さらに、彼は日本文字で「惑満」とサインもしたということです。
これは本当らしいんですが、余は見たことはありません。
さて、これからが冗談だけど真剣。
日本写真界の嚆矢の人物の一人、横浜の下岡蓮杖の共同事業者に、ショイヤーという人がおりました。
彼は蓮杖が一人前の写真師になっていくプロセスで重要な人物ですが、そのへんの事の情はすでに読者君はご存知として次ぎに進みます。
余の妄想が今回のテーマであるから、単刀直入。
ショイヤーは、ワーグマンにならって「相影」と日本文字でサインをしていた「かも」がそれである。
むかしむかし、余はこんなことを妄想していました。
今後は、ワーグマンの「惑満」の例に活力を得て、後者系で、「ショーヤー楼」という解釈に重きを於いて妄想を深めて行こうと思う。
看板はそれなりにビジネスカテゴリーを区別するものとして重要なサインだから、それぞれにはちゃんとした意味が有ると思うからなり。
つまりは、
本意は、あれもこれも兎に角みんな「蓮杖のお店です」なぞというような、今時の実態の知れぬへなちょこ解釈では、つまらんと思うからです。