過日余はかようにもの申した。
昔が良かったといっているのではない。
職の世界には年功を重ね信用を築き穏やかに後進を育てる空気があったと言いたいのだ。
いくらでも技術に優れた若者はいた。しかし、若手がベテラン先輩に適わなかったところは、経験に基づいた安定感だと言いたいのだ。
若者もベテランも、互いにリスペクトする精神があったと言いたいのだ。
そうしたリスペクトの連鎖が、家庭を会社を社会を国を支えていたと言いたいのだ。
そうして世界に例のない愛の文化を持った国「日本」が出来上がっていたと言いたいのだ。
人々の生活と暮らしには穏やかなリズムがあったと言いたいのだ。
社会は確実にチーム力を発揮して穏やかに発展していたと言いたいのだ。
いつのころからか世の中は一変した。
年功序列が古き悪しき風習と厭われ、代わりに成果主義という拝金拝権の悪魔が神を装った。
ごますり、蹴落とし、出し抜き、隠蔽。
どんな不愉快なことでも、成果を産むための立派なアイテムと偽装され、たとえインチキでも悪事でもばれなければ良いとする。
政府は言う。法に触れなければどんな不愉快な事も正しいと。
一つの価値感による「美」と「強さ」が強調される「日本」がよいという。
もはやこの社会の政治経済文化は差別や区別が基本。対立から敵を淘汰することが理想の構図だ。
過去にこの差別区別を国是とした時代があった。
一億総・・とたった一つの価値感を、共有できるか出来ないかの二極の選択肢をもって、「大日本」を標榜し他国民を差別し区別した時代がそれだ。
いま再びその時代の亡霊一族が、我がもの顔に国民をその道につかせようとしている。
互いにリスペクトする「おもいやり」の精神が一片も無い、こんな風潮に対し、余は、それは違うだろうと言いたい。