「当時は知らなかった。」とか、「自分も人間だから」とか言い訳したり、「その件については全く記憶がない。」とか、「間違いを指摘したその根拠を疑う。」とか、「何を言う。そちらが間違いだ。」と開き直ったり、結局、自分の悪事のばれたミステークを素直に認めない。
まるで子供のいいわけだ。
誰のことを言っているかというと、政治家たちのことであるので、小市民は安心して下さい。
ただ、小市民のくせに、少しでも(どきっ!)っと感じられた方は、ご自身の分別でどうにか対策を講じていただきたい。
さてもさても、政治家ごっこでメシを喰っている国会議員から地方議員のすべて、国民や市民の代表としての資格や資質があるのか疑わしいご時世だ。
党のため、おのれの利益のためにいきるを政治家という。決して国民や市民のためではないのだ。
よって、政治的スキャンダルで大臣を辞めても、国会議員を辞めないという、妙な責任の取り方が問題視されない事態にいたる。いったいどんな理屈なのだ。
小市民にはまったくわからないことだ。
国会議員には、政治的なスキャンダルは認められているということなのだろう。
野党も与党も関係なく、政治家の世界では、それが常識なのだろう。
まあいいさ、どんどんやればいいさ。
虎屋が繁盛するのはいいことさ。
余は虎屋の羊羹は、夜の梅が好きだ。
下に万札500枚の座布団があっても驚かないぞ。
でも、余は小市民だからだれもそんな素晴らしいモノをお届けしてはくれまい。
オマケに政治家らは、政治家にとっておっかない憲法が嫌いで、解釈を変えたり無視したりで、本来のその意味その目的その価値を認めたくないのだ。
ああ平和だ。平和だからこうなっちまったんだ。
世の中ずーと、政治家から言わせれば「平和ボケ」の、この平和であってもらいたい。
なにもけんかに強いやくざな国にならなくてもいい。
平和ボケの国家こそクールだぜとノンポリ爺は呟くのみだ。
あなかなし。