当然ちょいと考えて、すらりと解けてホッとしたのだが、余が小学校四年生の頃はどんな問題を解いていたのか記憶に無い。
記憶と言えば図工でどんな画を描いていたとか、遠足でどこどこに行ったとか、学芸会で主役をやったときの台詞とか位で、国語算数理科社会などに対する記憶は全く頭の片隅にもない。
余は兄の勉強をしているすぐ隣で常に遊んでいたので、45才の時から習わぬなんとかで、だいたい100%兄のやっていることが頭に入っていた。よってキザですが、自分の時には家で学校の勉強をした記憶が無い。
大学に入るにも、会社にはいるにも、特別にそのためにどうにかした記憶はない。社会に対して失礼な話だがぜんぶ成り行きだった。
会社に入って仕事を覚えるのも、上司や先輩や同僚の所作や判断を参考に、独自の色を印象付け膨らませて生きてきたのにすぎない。
しかし、大学生の時の文化人類学のゼミだけは例外的に勉強をした。
ゼミでは周りを見ているだけでは単位は取れないことにすぐ気がついた。
教授は方向を示すだけで、学生は独自にテーマを設定して、そこにおける問題を解いていかねばならなかったからだ。
おかげで専門課程は全優で、文化人類学の学部課程のある大学院にも誘われたが、当時は学問をする魅力など微塵にも感じなかったので断った。
やたらとヒッピーが若者にもてはやされた時代で、社会は猛スピードで変革していた時代だった。