囂庵コラム アーカイブ

勝海舟の揮毫「神逸気旺」

昨日今日漢詩を勉強するぞと騒いでいた小僧ジジイが、何を言うかとお思いでしょうが、漢文漢詩などは大の苦手な余だが、その雰囲気はとても好きである。

ひでえ矛盾だとの罵声は気にせず偉そうに次へ。

先日来、なかなか得心がいかない漢文のことばというか一節がある。

勝海舟の「神逸氣旺」である。

本郷の老舗菓子店壺屋に残る揮毫(後日注)

神頼みをせずに気を充実して励めとか、神を恐れず気力を持てとか、どなたもおっしゃるが、 その「解釈」に得心がいかないのである。

この場合の神とは江戸っ子にとって苦々しい薩長の専横だったと言うが・・(後日注)

これでは、神頼みしか勝つ道のない、今のファイターズを 元気づける程度のことばの迫力でしかないのである。

なんか、ぼやきぽいのだ。格好が悪い。

芥川龍之介の小品に「秋山図」というものがある。

ここに、「一度も秋山の神逸を聞かされたことはなかったのです。」という一節がある。

秋山図という名画があってそれにまつわる数寄人たちのお話なのだが、 龍之介は、神逸を「神業」とか「天下逸品」として使っている。

料亭なだ萬の座敷の襖の書に「氣和神逸」というのがあり、 ここにも神逸ということばが使われているという。

この場合の神逸の意味も、「神頼みをしない」「神などいらん」では、 乱暴で、がさつ過ぎて、ひとつも和まない。

やはりこの神逸も、「最高級の世界」のような意味だと思う。

よって、神逸とは「とても優れたもの」「天下逸品」「神業」などと、 華々しく気分を盛り上げることばであるとしたい。

さて、氣旺であるが、 これは一般の解釈の「・・スベシ」系の教訓的なことば理解より、 「活力漲る」「元気百倍」のような、メジャーな気分の、 「状態」を表すことばとして、理解するのが良いと思う。

つまり、
勝海舟は、「天下逸品!元気百倍!」とゲスに書かず、 同じ意味合いを、「神逸氣旺」と極めて上品にオーバーに揮毫されたのだと思うのであります。言わば、壺屋のキャッチフレーズ広告コピーってわけです。

    (2014年6月18日 余のFBの記事再掲)

この拙文をお読み下さったある先輩からのコメントに感激したことを思い出す。その先輩は芭蕉が愛した唯一の女性と言われている寿貞尼を主人公にした小説発表を目指す中急逝された。余が刺激され芭蕉の句に何十年ぶりに再会するきっかけにもなった先輩の思いだったのにと残念でならない。 2018/6/18記