囂庵コラム アーカイブ

木村喜毅の書翻刻記

はじめは天餘地春だけ読めた。

つぎに接が梅に見えたりして混乱。

垂は毛か?だが画数が多すぎるので毛ではないと判断。

餘を漢和辞典で引いて熟語を見た。

それで餘慶を推量。

文字の参照は「五體字類」を使用。
http://kamabisuan.skr.jp/new_box/5taijirui/gotai_jirui.html

取り敢えず候補の「天餘慶地春」の文字列でネット検索。

運良く「正月の風俗-中国と日本- 」はじめ「餘慶」がハイライトされるページが幾つか出た。

正月の風俗-中国と日本- を開くと

http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/ dbase/forum/text/fn025.html

めでたくこの文は「天垂餘慶地接長春」と判明。

「天は余慶を垂れ 長春は地に接す」

最後に「天垂餘慶地接長春」で検索し、さらに詳しい情報を得た。

後蜀の太子作の言葉
春聯といって正月に悪魔悪霊封じに貼るお札の文面とあるなどを知る。

古文書くずし文字の翻刻は慣れが一番だというが、余はネット検索で効率を上げている卑怯者だ。

書の時期甲子は元治元年

元治元年 木村は開成所の頭取に就任、次いで目付に再任され幕政に復帰する。
外国御用立合及び海陸備向掛となるが、翌慶応元年 長州征討のため上洛して、兵庫開港問題を巡って老中・小笠原長行と対立し、罷免された。

とある。

    (2017年5月13日 余のFBの記事再掲)