通天楼日記より
明治六年 八月四日 天気 正午八十九度
午後第九時前頃隣之女中四人連、物干し場へ涼ミニ来ル、四方噺ニ冷水池走し、同第十時頃帰ル、
夕涼みに絶好の場所として、ここは利用されていた。
通天楼日記より 明治六年 八月五日 天気 正午八十八度
午後第四時半頃、小林雲塘ヨリ練羊かん一折手紙添到来ス、其表ニ暑中御窺ヘニ付、御笑納被下度との申文なり、答、只今留守ニ付其儘申請置候との返書差遣し、
先生は関西出張でお留守だが、戴く物はしっかり戴く。この日記の記録者は、さっそく翌六日の来客に、頂き物の羊羹をお出している。
さらに、当たり前なことだけど、時代の姿をしっかり写し残してくれているのがなんとも素晴らしい。それに気がつかないでいるのは本当にもったいない・・もったいない。と日々自戒する爺さんです。
前回イケメン写真師横山松三郎の、不忍池を望む写真のはなしで、上野のお山の木々の白いのは「サクラか?」ととぼけて見ましたが、ブーイングもなく残念でした。サクラではなく昨夜の雪が木々の枝に残っているのが正解でした。
4・50年前までは、上野の不忍池は冬になると全面結氷していたんですね。そのころ庵主は東京にいたけど、それは知らなんだ。
左下の写真の露台の先に見えるのが、写真スタジオのガラス屋根のようです。