おもろ63

太陽礼賛

さてさて、

古写真の鑑定などで、撮影されたのは「〇〇年」とか「●●年」とか、すぐに諸説が生まれてしまう。

こんなことは、よくある話で、ちっとも珍しくもなんでもないが、ほとんどは、論者各々の、論旨・論脈の都合の良いように、または景気付け的な盛り上げで、気軽になんとなくの断定となっている。

いずれにしたところで、天下体制に微塵とも影響なんて出ないから、大いに構わない構わない。

もしすべての意見が「〇〇年」一つだったら、全員が「〇〇年」なんだ!と思うだけで、これまた平和でよろし。

でもでも、諸説があることの方が、むしろ良いのだ。

つまり、あれ?なんで二説もあるんだろう?と思って、グダグダと調べたがる人が時には出てくるからだ。

事実を知りたいのではなく、なんで二つ?とか、場合によっては三つ四つ?がそれ自体面白いのだ。

ご時世多様化の時代というわけではないが、物事には、いっぱい意見がある方が、なんでなんでと面白いのだ。

例えば、この長崎県の高島炭鉱の積み出し港の写真。

一応これも、”明治五年の七月”とか”明治六年の十一月”とか言われている代物だ。

で、なんでなんで族人の余は、すぐさま検証の魅惑に取り憑かれてしまうのだ。

ニ説ありがたいことでございます。

しかしです。この写真はざっと見た目では「何年の何月の何日の何時」かは分からないが、科学的根拠を持って検証すれば「何月の何日の何時頃」かはほぼピタリとわかるのです。

言っときますが「この写真」の「この」が重要で、古写真みれば全てが科学的根拠を持って来てもそう簡単にはできません。「この写真」だからできるのだ。

さてさて、

この写真は記録からも、長崎県の高島の浜で撮られたもの。

飛島と伊王島と沖之島の重なり具合で、概ねの撮影ポイントも確認オーケー。

では!

この写真に写る二人の人物に注目しましょう。

と言っても、このお方がどなたであろうがなかろうがが問題なのではありません。

誰にもわかる、お二人の「影」に注目だ。

さてさて、

この影の創造主は誰でも太陽さまだということは認めましょう。

されば、

例によってshadeの3Dソフトでこの影を再現し、比較検証を試みればよろしからんと思い、チャカチャカポン!

まずは、七月説の7月19日でポン!

画面を大きくして人物の影の動きを見てください。

あれれ!?
ちゃいまんな。

では、

11月説ということで、日にちは適当に11日(動画作製日)。

確かに、13時前後。good!!!

はい。これでこの写真は、7月に撮影されたものではないということがわかりました。

では、11月ごろか! と言うと、この写真だけでは、まだ分からんのです。

実は!

太陽の仰角と方位角が、11月と同じになる日がまだあるんです。2月かもしれないのです。

しかし、この写真が撮られたのは、冬至を挟んで40日位の日を中心に、前後2・3週間の内の何れかの日であることがわかりました。

まだまだピンポイントとは行きませぬが、科学的根拠を持ったこの太陽さんの作った影の解析は、正しい結論を引っ張り出すひとっの助けになると、余は大いに自負するのでござる。

ああ!!太陽さまは本当にありがたいでございました。

2019/11/13記