「園公秘話」で「東京粋書」のお姉さんたち写真を、読んでみた。

そもそも

そもそも、女性七人がコラージュされた一枚の写真の中に、例のお龍写真が使用されているのを茂呂司さんが発見し、購入され、それを茂呂さんから見せて戴いたことから始まった。

それには、お龍の名前でない別の人物の名前が裏書きには在った。それは「土井奥方」。

七人の名前の中にはとんでもない間違いもあり、この記述も100%正しいとは言えないと思いつつも、余はその名前を頼りに、国会図書館のデジタル資料から、当時もしくは当時の花柳界の記述のあるものを探した。

そこで一冊「園公秘話」が見つかった。この園公秘話に、すでに西園寺公望の内室(小林菊子刀自)となっていた、元新橋の超売れっ子芸者「玉八」ねえさんの聞き書きがあった。

東京粋を手元で見ながら、玉八姉さんいわく、 「おまささんは土井子爵のお妾になり・・」。

そのおまささんの東京粋書の「久松屋の政」が読みたくて、バタバタしたら、茂呂司さんや国立図書館のデジタル化資料に大いに助けられた。

土井子爵家は三家あり、奥方に「りょうさん」は、お一人おられる。

でも、おまささんは、三家のどちらの土井様とのご関係なのかはわかりません。

さてさて、こんどは、この写真を科警研で鑑定していただかなくては・・。

東京粋書でおまさの分類は「名妓」で、それは二十歳前後が中心。アラサで区切られる「老妓」ではない。まあ仮に・・このおまさの写真の年令を24・5歳とみよう。

さてさて、問題は右の女性、以前から明治三年とか四年とか高名な内田九一研究者が唱えてきた撮影時だが、おまけして明治の五・六年としても、右の女性は16・7の少女となる。

ありえない話ではないが、いままでの説明は大どんでん返しを喰らうことになる。

ところが

ところが、「おまさ」=「土井奥方」と結びつけて考えるからおかしくなるのに気がついた。
おいらも、衰えたぜ。

単純に、土井子爵のお妾さんになったのは「おまさ」さんで、写真のお方。

 はい、「おまさ」の話はお仕舞い。

「お妾のおまさ」と「土井の奥方」は そもそも別人と考えるのが天下の筋

ということで、<坂本龍馬のお龍さん>とされる写真は、ほんとうは「土井奥方」「土井良子」であって、子爵刈谷土井家の婿養子忠直の妻「良子(りょう)」なのだと、素直に理解すれば良いのさ。

簡単じゃん。

土井良子は弘化三年七月生まれ。明治三十六年に亡くなっている。

写真が撮られた通説の明治三・四年の年令は26・7。

ほら、とてもいい感じでしょ。

ところがところが、刈谷の良子さんのお写真がある。結果はzannenである

。振り出しに戻るしかない・・・

ところで、

古河土井利與の妻は

正室:青山忠良の娘、
継室:大関増式の娘。

古河土井利與の子は 娘(大橋篤治室)、娘(井関保久室)、娘(金沢某室)、娘(高田政治室)、利孝、利正、利大(三男)。

では、

「土井奥方」は

利與夫人の青山忠良の娘千賀子さん?
それとも、利恒夫人の福子さん?

これは宿題!

明治十四年頃の新橋の芸妓さんたち

さあさあ、気分をかえて、東京粋書の写真から、お政さんを含む明治十四年頃の新橋の芸妓さんたちに会って見て下さい。

当時評判の小松屋小辰や、柳原白蓮の母となる愛子(あ以子)さん、もちろんお政さん、玉八姉さん・・・。

東京粋書には、芸妓24人の写真をコラージュした鶏卵紙プリントが、小冊子に直接貼られていた。(写真は茂呂司さん提供 Danke!) 余の囂庵ホームページで、アップ写真のキャプション代わりとして用いたのは、西園寺公望の内室小林菊子刀自こと元新橋烏森蓬来屋の玉八姉さんの聞き書を収めた「園公秘話玉八聞書」の件なり。(国会図書館デジタル資料から Danke!)

茂呂司氏が発見した問題の写真


茂呂司氏所蔵

土井子爵家の「良子」奥様

土井子爵家の「りょう」奥様

東京粋書ちらり

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