囂庵コラム アーカイブ


お気楽の危機

余は今までとてもお気楽に幕末明治の古写真を楽しんできた。
しかし昨今は、良いやら悪いやら、お気楽というわけにもいかなくなってきた。

というのは、古写真に造詣が深き大先生の方々が、ああだこうだとあいも変わらず、ご自分の妄想をオリジナル意見として発表される傾向が増しているからだ。
質の悪いことに、だいたいが私だけが知っているとか、私が調べたとかの「ことば」だけの裏付けで客観資料もなく説を唱えるケースばかりだ。

もともと、これは古写真界の重鎮とされている小沢健志大先生がやってきた方法だからしょうがないという気分でもあるのだろうか。
そんなわけだから、だれも彼や彼の態度に噛みつかない。こんな人だらけな世界ゆえ、他の先生方々も推して知るべしである。
誠に残念なことだ。

例えば、この写真は京都の堀與兵衞という写真師が撮ったと小沢健志大先生が唱えられ、この敷物を使用した写真の写真師は堀與兵衞であるとこの世界では定着した。
しかし、その証拠となるものが一切示されていないのである。
あるひとがそれを求めて粘ったが、ことごとく無視されたと嘆いていた。
つまり、証拠はないが「たぶんそうだろう」が一人歩きをして「なにをいまさら」の気分になってしまったのだろう。

とりあえずこんなことは世間にはなんら害を与える問題ではないので、社会問題にすらならない。
今年世間を騒がせた「スタップ細胞」の件とは大違いの、しがない世界のハナシなのだからご心配には及ばない。

しかし、この例を根拠に、次の根拠立てをするケースも生じるわけで、結局、不確かな根拠が、つぎなる不確かな根拠の根拠となり、「long wrong way」を次々に作り上げるという怖ろしい状態が情けなくも当たり前になっているのだ。

今のうちになんとかならんのでしょうかねというこの問題が、余のお気楽ムードを邪魔する唯一の問題なのだ。