囂庵コラム アーカイブ

3.11

「原発の、そしてその事故の責任は無論一義的には電力会社と、それを推進した政府に帰します。それは間違いない。」

余がrespectする方の、先日のブログの記事の冒頭である。まったくだ。

しかし悲しいかな、責任を取るべき電力会社も政府も、その事故の責任を、一義的にも果たすということはしない。

このような事態に絶対にならないから、ぜひ任せてくれと、大見得を切った、電力会社・政府の公約違反行為にも、お咎めはないのだ。

そんな輩に扇動されて、附和雷同の国会議員や地方議員も、みなさま揃ってお咎めなしだ。

一義的な責任なんてどこかにかき消えて、大きな負担だけが残る。

浅はかで無責任な電力会社の妄想に、勢いを与え、かつ、そんな議員たちを選んだ責任として、二義的ながらはじめて、被災住民や被災県民や全ての日本の電力利用者に、この事故の責任者として、まるで罰のように負担が、負わされるのだ。

原発の再稼働へ向けて、形だけの安全見直しを担保として、「こうすれば、あなたもあなたのお子さんの未来も地域も国も素晴らしものになり、世界の人々からあこがれの国になる。」と、事故以前に国民を導いた時代の電力会社・政府のやり方とまったく同じパターンで世の中が動いている。

かくして、責任を取らない仕組みの立場にある人々が、「あまい言葉」をつかって囁きかけ、「反対すると、経済も生活も成り立たない」とヒステリックな声をあげて脅迫を繰り返す。

そんな愚かな国を作り上げた責任者たる国民の一人として、またして、苦水を飲む日が来ぬことを切に願うことしか、ザンネンながら余には方法はない。