余はプロの研究者ではないから勝手なことを言わせていただくが、近頃プロの研究者の方々の安易な「○○だろうか」が多すぎる。
大概は、合理的な根拠がなく、何かに似ている程度の思いつきもしくは思い込みや、傍証を使うが、それに自信が無くかつ裏取りもしていない場合などが多い。
無意味で卑怯である。
たとえば、ある写真関係博物館の小図録に載っている古写真のキャプションに、「小名木川河口に架かる萬年橋付近より、墨田川に架かる新大橋の眺めだろうか(大日本全国名所一覧より「萬年橋」)」とある。
これは、出典元のキャプションを引用して且つ著者はそれに疑問を持って、萬年橋じゃなくて新大橋かも知れないけど、確かだとは言わないというニュアンスがこれには含まれておるとでも仰るようだ。
いずれにせよ、こんな情報はいったい何のためになるんでしょう。「うそかも知れないけど、ほんとかも知れないけど・・」なんて。
やめてもらいたい。
本来は、毅然と「大日本全国名所一覧には萬年橋とあるが、不明。」と一行にしてほしい。
さらに、著者は、この曖昧な根拠を正しい「としたら」として、さらに解説の肉付けサービスをするのだが、これこそ全く意味がない。
件の写真は、キャプションの場所のものでなく、大阪の堂島川に架かる橋の写真と同じ場所のものということを、おかげで余は知り得たが、このままでは世間の笑い種。なんとかなされては・・。
ということは、「大日本全国名所一覧には萬年橋とあるが、大阪の堂島川に架かる橋の可能性もある。」ぐらいにしておいて、小名木川やその他の解説はもっと確かな写真をみつけてそこでやって頂きたい。
たとえ「○○だろうか?」を付けたところで、免罪符にはなりませんからもっとちゃんとして下さい。
ご同業の皆さまもよろしくお願いいたします。