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正しいことは少数意見

近ごろ思う。

正しいことは、この世の中では常に少数意見であるということをだ。
正しいことは、絶対に多数意見として扱われないのかも知れぬ。

そんなことはない。
たとえば「人を殺めてはいけない」。
これは正しいことではないか。
多数意見に決まっている。
と、ほとんどの人が仰るが、ほんとうにこの意見は多数意見だろうか。

たとえば、国民と国益を守る為には、戦争で人を殺すことはしかたがない。
たとえば、殺人犯を死刑にすることは、被害者の立場から見れば当然のことだ。

つまり、正しいことの正しさには絶対などはないのだ。
かならず「しかし」がくっいて、「しかし」側がメジャーになり、正しいことはマイナーになるのだ。

このたびの、安保法制もしかりだ。
山本太郎君はただしいことを言っている。
しかし、少数意見だ。

安倍総理はどうだろう。
彼はカシコイから、正しいことを言って結果マイナーになることを巧みに避けている。
つまり、正しい正しくないの判断をさせない論理で対処するのだ。
○○の事態に陥ったときに困らない為に手を打つことが大事であると・・。
つまり、○○の事態に陥らないためでなく、陥った場合から話をすすめるのだ。

戦争は正しくないが、巻き込まれたら、対処しないとだめじゃんと言っているにすぎないのだ。
ただし、自分自ら身体を張るなどという「20世紀以前の甘い感情論」は決して用いない。
戦争に於ける戦闘は、為政者然として、国民の傭兵が対処するのが当然としている。

残念ながら、安倍総理にとっては、戦争に於ける戦闘は、「そんなこと」レベルの価値である。

しかし、余はたとえ少数意見であろうとも、正しいことを支持する。
山本太郎君の大あばれに拍手を惜しまない。