囂庵コラム アーカイブ

篆刻 経文緯武

先日遅ればせながら民博の「ドイツと日本を結ぶもの」展を観てきた。
夏休みの最終日曜日ということもあり、親御さんを引き連れて、或ハ、親御さんに引き連れられた子供たちで満ちていた。

一様に我が国とドイツの関係の歴史を見せては戴いたが、いまいちこれといっての感想はもてなかった。やはり、地味な関係ではじまり、地味な関係をお互いに良しとして続けている国同士の、地味な関係がこの展示から感じられた。

展示の方向と関係がないが、余に興味を与えたものは、将軍家茂の「印」である。


通商条約の批准書やプロイセン国王への親書のサインに添えられた「印」である。
実のところ篆刻(てんこく)文字を解読したのは現場ではなく家に戻り、会場でメモしたものを篆字典で調べてみて真意を知ったわけだが、その印の文言は「経文緯武」となっている。

普通なら、「日本国璽」とか「将軍御璽」とかのオフィシャルな文言かと、端から決めて見たものだから、こりゃ何だと可笑しくなった。

「経文緯武」「緯武経文」は漢和辞典にも載っていた四文字熟語で、縦の糸は文、横の糸は武ということで、文武兼ね備えることということである。

「経文緯武」は、きっと、家茂が好きな四文字熟語なのだろうが、一級の外交文書にこれだから、外も当たってみたらけっこう面白いと思ったしだいである。

ところで、幕末維新期にかけて篆刻で当代一の男がいる。長崎の小曽根乾堂である。

乾堂は、明治天皇の「国璽」の製作を命じられる程の作家である。
それよりさきの安政年間、乾堂は江戸に遊学をしている。その折、なんと将軍家茂に謁見しているのだ。篆刻は当時も今も文化人のたしなみで、家茂少年将軍は30歳の篆刻達人からいったい何を学びたかったのか興味が尽きない。

余は、「経文緯武」の印はもしかしたらと・・つらつら思っている。

幕府にも新政府にもその才をガッチリ認められた小曽根乾堂を、あらためて既成概念を持たずに調べてみたいと思っている。