白居易の長恨歌の最後のちょい前の一節である。
天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝とならん。
比翼の鳥は翼を並べて飛ぶ鳥で、連理の枝は枝と枝がつながっている二本の木である。
つまり、どこにいても二人は一緒に居ようねという、楊貴妃と玄宗の誓いのメッセージである。
これはこれでけっこうな一節だが、これを結婚式の祝辞や掛け軸などに使用している例をみた。
びっくりポンだ。
「長恨歌」は、玄宗と楊貴妃との別れの抒情詩である。
この一節の次のフレーズがこの詩の〆で、
天長地久有時盡
此恨綿綿無盡期
白居易は、天地は悠久といえども何時かは尽きることもある。しかし、この別れの悲しみは決して尽きることが無いだろうと結んでいる。
更級日記でも、たんなるラブソングじゃないよと扱っているぜよ。
世の中に長恨歌といふふみを、物語に書きてあるところあんなりと聞くに、いみじくゆかし(すごく見たい聞きたい知りたい)けれど、えいひよらぬに(貸して下さいと頼めなかったんだが)、さるべきたよりを尋ねて、七月七日いひやる(手紙だして聞いちゃった)。
契りけむ昔の今日のゆかしさにあまの川波うち出でつるかな(玄宗と楊貴妃のメモリアルデイにつき、物語本も天の川渡って来ちゃったりして)
返し、
たちいづる天の川辺のゆかしさにつねはゆゆしきことも忘れぬ(物語りの貸し出しは、平素なら不吉なことだからとお勧めしませんが、今日は特別の日だから、そんなこと忘れて貸してあげます)
人様々ですが、なんで慶事に好まれるのか不思議です。