囂庵コラム アーカイブ

エンターテイメントエンジン

会社員時代の「会社」の会議ほど、おもしろいものは無かった。

会社という組織の中で蠢くことが唯一の生きる道であると信じている人たちが、煌びやかな甲冑を着けて、右に左に上に下に、大見得の切りっこをしているだけのことであるが、余はこの会議というエンターテイメントに、じつに滑稽な芝居仕立ての可笑しさを常々感じることができとても楽しかった。

昨今、東京都庁の中で毎日行われている「議会」の猿芝居も同様である。

正義ごっこの猿芝居には、基本、結末のシナリオは無い。
無責任と無責任が、互いに己の主張が正義であると騒ぐだけである。

ことの終わりは騒ぎ方の上手さと拙さで決着する。
信義などおよそ関係が無いのだ。
たんに、より多くの観客の心を一時的にもしっかりと捉えられれば勝利なのだ。

そしてこの勝ち負けのみを観客に託して一件が落着する。

大騒ぎしたところで何の利益も生まれないと考える必要はない。
当事者も傍観者も観客もみんな、このエンターテイメントに荷担することにより、報酬や給料や還付金や補助金を貰っているのだ。

ということで、くだらない「会社」の会議も、最低な「議会」の会議も、世の中の全ての会議という代物は、我らすべての人間の生存のために必要な素晴らしいエンターテイメントエンジンなのだ。

内容が無いから納まることなのだ。

じつは、内容があるものだったら物事ひとつも納まらないものなのだ。

おわかりか・・・