囂庵コラム アーカイブ

世も末。余も末。

古写真には誰が被写体として写っているのかという説明にはけっこう眉唾ものが多い。 それで社会がどうも変わらないのだからほっとけばいいものだが、好奇心がそれをほっとかない。

ものごとの説明に一々根拠をたずねたところで明快な「解」は示されないこと位はよーく承知しておるが、そこをなんとか知りたくなるのが好奇心という厄介者のお節介なのだ。

さて、この写真はベアトが撮ったものだそうだがどうしてそれが判るのか知りたい。
さて、この写真は薩摩藩士とのキャプションが通っているがどうしてそれが判るのか知りたい。
さらに、この写真には長州の木戸孝允がいるというのだがどうしてそれが判るのか知りたい。
伊藤博文も居るとなると増してもだ。
もし、木戸孝允がいるとなれば中央の若者も誰なのか判るはずでいつどこでなども教えてもらいたい。

たぶん、なに一つ合理的で明快な説明はつかないと思う。 こんなあんなと、えらぶり先生のしたり顔の嘘あるいは疑説を聞く時は、Aさん政府の自己流解釈のごりおし演説CMを見聞きさせられるのと同じ後味の悪さを実感する不幸な時間である。
いさぎわるしの極みである。

これから、世の中の人の心が大きく変わって行くというのに、こんなどうでもいいことにぬらぬらしているのは愚かと思いつつも、好奇心めが・・・

世も末。余も末だ。

木戸孝允とこの男比較