昔の記憶
余はブラタモリが好きだ。歴史をやるでなく、科学をやるでなく、地学をやるでなく、考古学をやるでなく、文学をやるでなく、つまり、なにかに面白いことをみっけて歩くだけ。余の古写真とのつきあい方も同じ。なにをするもなくなにか面白いところはないかとただ見ているだけ。それで十分。
昔の記憶2
あれから5年が過ぎ、今年の春三月は、いつもの年より早く来た。
あのときの恐怖と混乱を思い出し、今もなお大したこともできない日本を「恨み」ます。
こころない政治ばかりが先行して、くそ役人くそ大臣のくそ総理の口先だけの「復興復興」は国民とって「不幸」に聞こえます。
ともあれ、無事生き延びられた我々は、それが単なる一個人の喜びでだけであっては、多くの被災者の方々に申しわけがたちません。
日本は日本中の国民の幸せな笑顔があってほんとうの日本だと思います。
よわい人を蔑み冷笑する権力者たちのドヤ顔に満ち満ちた今の日本。
カネカネカネの日本にバイバイして、品位と慈愛のこころに満ちた日本ができるといいね。
昔の記憶3
北海道5区の補欠選挙の結果は、前職の次女の夫への「世襲」で終わった。
この世襲を安易にゆるしたのは、TPPで騙され続けている漁民農民と、安保法制で強い軍隊に変身できる悦びを洗脳された自衛隊と、反共のための政治組織公明党を支える創価学会だ。
しかし、都市部の市民は、あきらかに、この世襲候補や安倍によるニュー保守右翼主義に踊る自民党を嫌った。
敗れはしたが、政治行政のバランスを望む庶民の「良心」が、この地に、慥かに残っているということが、せめてもの救いである。