とくに政策論や研究発表や評論や新発見報告などなど・・・に多い。
先の大戦における国民感情の戦争容認への高まりなどもそうだ。
近々の例ではSTAP細胞騒動がそれだ。
当事者に悪意はなくとも、発する情報や理論や証明が、時にはウイルスとなって、国や学会や世論の環境を変化させていく。
人間の生存欲求の本能による無意識の選択で仕方ないことだから、余はこれを非難はしない。
さりとて、それを見す見す見逃すのも気分はよろしくない。
おおげさに話を持ってきたのも、余の遊びであるから気にはしない。 あさから30度を超える暑さも、それに油を注している。
これからの話は世にとって何の利益も生まないが呟いてみる。
この二枚の写真の状況は同じ様に見えるが、同じではない。
背後に置いてある衝立屏風が異なる。 はやい話が、木戸と彦太郎連座写真(以後木戸写真)と中島の写真の写真師が、この「衝立屏風」や、この「椅子」を理由に、同じであるとは合理的に説明出来ないということである。
また、古写真の説明書きにはこのてのガサが多いこともこのさい大いに嘆いておく。
さて、そもそも木戸写真の写真師が上野彦馬などとはどこにも書いてない。
箱書きには、木戸は上野という宿に泊まっており、また木戸の日記の宿泊先は原丁上とある。
その写真は、宿に写真師がやって来ての撮影とあるのみだ。
つまり、この箱書きや日記を合理のツールにするならば、写真師が誰であるのかは本当は判らないのだ。
木戸写真が上野彦馬と言われるのは、その前々日に一行一同が上野彦馬の写場を訪問して一行の写真を撮った事実と混同・もしくは思い込みで判断しているにすぎない。
たとえこの木戸写真が上野彦馬の撮影としても、想像ではなく、合理の種を探して証明するのが筋である。
木戸写真の上野彦馬の撮影説よりずっと質が悪いのは、中島写真の上野彦馬撮影説だ。木戸と中島写真の状況は単に似ていると陳べる位が関の山で、長崎で・・上野彦馬で・・ああだこうだと陳べていくのは困りものだ。
以上によって、余は思い込みでわちゃわちゃするのはよろしくないと呟いているのだ。