囂庵コラム アーカイブ

縁起担ぎの足しにします

写真が世の中に出だした頃、人々の生活も、粗野な野蛮から文化的な野蛮に変わって来てきた。
科学的に合理的に物事を見極めていく文化が、ちょぼちょぼだが、徐々に世の中に広がりはじめたからだろう。 日本の「文明開化」もその流れの一部だ。とはいえ、そんなに簡単に、右から左に頭の中身を切り替えられる状態ではなかった。とりあえず、人々はいまだ「期待と不安のカオス」の中に棲んで居たのだ。

さて、その時代の人々にとって、まさに科学そのものである写真なのだが、生き身そっくりな画像を得るなんて、魔法や魔術であると理解するのが一番安易な理解の術であったのだ。「ケミカル」なんて言われてもそれ自体が魔法の呪文でちんぷんかんぷん。情報が空っぽの脳みそでは、どんな屁理屈をこねてみても、その仕組みなど、とうていわかりっこなしだ。

まるで「わからん」が、やれ命を縮める、やれ手がでっかくなるなど、色々様々な不幸となってわざわいすると人々を信じさせて行くのだ。

そこで、写真館の亭主は考えた。せめてもおなぐさめの「おもてなし」として、縁起の良い環境で「安心・安全」をと考えた。

掛け軸作戦だ。長寿を祝い寿ぎ祈念する縁起のよい言葉「鶴雲」「眉寿萬年」「不二」などを大盤振る舞いをしたわけだ。

当時はこれで「安心・安全」と一先ず落ち着けたようだ。
政府が原発再稼働に際して行う、言葉による「心理的安心作戦」と同様に、小林オヤジは考えたのだ。日本人なら、科学的根拠より「言霊」に頼るべしということだと。

それにつけても、なにもなければ問題なしでいいのかなあと心配してたら、新潟知事選挙で政府と自民党の「言霊作戦」は県民の理解を得られなかったようだ。そうさ、科学的合理的な考え方が理解できる人が大半であるということが選挙の結果に表れたのだ。「文明開化」から百数十年かかってやっとだ。    2016/10/17