囂庵コラム アーカイブ

国有財産を役人の恣意的判断で「贈与」できる政治体制の国家を嘆く

このたびの豊中市の国有地払い下げ問題で、政治家の家族が特定の宗教を支持して応援していたことはそれほどたいした問題ではない。改憲派が最もきらう憲法の「基本的人権」に保証された行為だからだ。

問題は、その風を感じた役人が例外に次ぐ例外措置で、その政治家とその家族が支持共鳴する宗教団体に、神社と小学校の建設土地を、ほぼ無償で提供した「国有財産の贈与」行為にある。

さらに問題は、役人は法の運用者として、法律を自由に自己都合に解釈することが出来、法文上の「等」や「原則として」の文言を利用し、自己の欲求を自由に合法化させることができると言う体制だ。

政治家家族自らその宗教団体の行為の直接的な関係を忌諱せねばならぬほど、この神社と小学校の建設土地取得の問題は不透明だ。

だが、近代法治国家の仕組みでは行政の行為は、司法や立法によっての法改正が成されぬ限りすべて合法であるとなる。役人はやれば勝ちがセオリーだ。

こんな「えこひいき取引」もなんら問題がないのだ。

道義的な姿勢でも、当事者の行政、すなわちそのトップのお歴々をふくめ、配下の役人が行った前代未聞の「国有財産の贈与」を、ひとつも問題視していない。台詞は「合法」。

これでもこれら行政の人々は十割のマスコミと六割の有権者の支持を得ているという。

行政のおごり独裁の国家社会で、お役人は民に物を与えるのが「まつりごと」と、封建時代の脳味噌で仕事をしている。実に嘆かわしいのか、よき時代なのかわからぬが、余は嘆く方にする。

2017/2/28