囂庵コラム アーカイブ

日本国憲法 前文

町の「ヤクザ」や「チンピラ」ならいざ知らず、「首相や国会議員」が「証拠がないから」「潔白だ」とは、恐れ入る。

  いまどきの「首相や多くの国会議員」は、「証拠がない」というこじつけで、不法行為を「合法な」通常行為という。

証拠さえ掴まれなければ、たとえ道義的に問題があっても、国民の代表として選ばれた「首相や多くの国会議員」にとって、問題も責任も無いというのだ。

ある種正々堂々と、人事権を振りかざし、厳然と天下り温存し、恩賞厚遇を条件に、役人(官僚・検察・裁判官・等々)をして、不都合な証拠を「消させ」「語らせず」でもだ。

真相究明はおろか、真相究明の芽すらも完全に摘み取っているにもかかわらずでもだ。

一方マスコミには、言論統制を強い、反発があれば「認可取り消し」や「ヘイト宣伝」で、「首相や多くの国会議員」サイドのパワハラ振りをとことん発揮する。

つまり、「首相や多くの国会議員」は、いまや、何をしてもいいのだと言うことだ。

もはやこの国は「嘘」と「圧力」の選挙を経て、完全に、「首相や多くの国会議員」達による選挙管理のクーデター下にある。

余は思う。

旧日本の軍事体制やナチス政権下のドイツの時代にあこがれる「首相や多くの国会議員」達の野望プログラムを許してはならない。と。

しかし、大丈夫。

近近の世論調査で、選挙当時は支持したが今は支持できないとした、20%強の「騙されやすく善良な国民層」を、「首相や多くの国会議員」は卑劣な個人攻撃や差別主義的方法で「騙し」、取り込んできたにすぎない。

まだまにあう。

彼ら「騙されやすく善良な国民層」は気付くはずだ。

立憲民主主義を問う時間はまだある。

  余は改めて日本国憲法の前文を読み直した。 

 

日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。