囂庵コラム アーカイブ

私のための政治。公のための政治。

公文書の改竄が「不適切」であって、公文書管理法違反も「不適切」で、6人もの大の大人が叱られた。おまけに、罰としてボーナスがちょっと減らされる。

これは、この件が公の場で告訴された際に、「すでに社会的制裁を受けている」として起訴もされないための防波堤になる。

つまりこれは、法律違反を「公の裁判」で裁くのでなく、 「私の裁判」で裁いているということだ。

日本国の総理大臣は今や、公務員の人事権を最大限に利用し、司法行政立法を片手で操る封建的絶対君主となっている。

いや待てよ。

「総理大臣は!」ではないな。

彼をそうさせる人々いや!国民全てが、封建的絶対君主制国家社会を実現させ、権力・利権・公的資産の独占に加担し、「お上」の「悪行」に油を注いでいる。

そもそも日本という国の成り立ちから数千年数万年ずっと、手を変え品を変え、ちまちまと、封建的絶対君主制国家社会構造を維持して来た。

そのDNAゆえに、この日本人という集団は、封建的絶対君主制国家社会構造から、未だに抜けだすことができない。

ゆえに、長となる人物の「人格」ばかりが問われ、一ミリも社会構造の変革に目を向けようとはならないのだ。

視点を狭く論点は大きく大雑把が封建的絶対君主制国家社会構造推進派の作戦だ。

その代表のキーワードが、「美しい国日本!」「憲法は時代に合わない イェスかノーか?」だ。

結果、基本的人権や機会均等や高福祉社会の実現や戦争の放棄や自由平等や・・・は「時代に合わない」と言って捨て去ろうとしている。

「私ばかりが優先され、公がどこにも存在しない」こんな時代が理想的だと、この国の人々は誰も思ってはいないはずだ。

しかし、・・これが現実だ。

2020/1/18記