おもろ13

二世五姓田芳柳のラグーザ玉子像から


二世五姓田芳柳のラグーザ玉子像

唐人お吉の写真などと言われてきた写真と、二世五姓田芳柳のラグーザ玉子の肖像画。

ラグーザ玉子とは、ヴィンツェンツォ・ラグーザ氏の夫人となった人。ヴィンツェンツォ・ラグーザ氏とは、ヴィンチェンツォ・ラグーザ(Vincenzo Ragusa, 1841年7月8日-1927年3月13日)はイタリアの彫刻家。作品に『清原玉像』 明治12(1879)年頃がある。

清原玉が、件の写真のモデルであったのか?
さて、これは真実か否か。 

木村毅
『ラグーザお玉自叙伝』
(改造社、1939年)


ラグーザ・玉

明治・大正・昭和期の女流画家。文久元年(1861)、芝新堀(古川南岸、現地下鉄芝公園駅付近)で清原定吉の次女として生まれました。同家は増上寺差配(管理人)で、山内に花園や茶店を持ち、自宅の広い庭にも池や花畑を造っていました。

明治9年、工部大学校美術学校開校にあたり、日本教府により、イタリアから招へいされ、彫刻科を創設・指導にあたったラグーザ教授は、小山町(現三田1-11讃岐会館) の官舎に住んでいました。  翌10年、散歩の途中、美しい庭園にひかれて清原家に立ち寄り、絵を描くことの好きな少女を知りました。ときに玉16歳。ラグーザ36歳。ラグーザは玉の画才の非凡なのと、愛らしさに好意を持ち、西洋画の技法を教え、彫刻のモデルとするなど、交際するうち、ついに求婚。両親も誠実な披の人柄を見て結婚を許します。3年後のことでした。

ところが、西南戦争後の財政難で、明治15年学校は閉鎖されます。彼は在日6年で、大熊氏広等の門下を育てましたが、生地パレルモヘ玉とともに去っていきます。

ラグーザは、工芸美術学校を創立して校長となり、玉も副校長として、指導・経営にあたります。玉の画才は、イタリアの美術環境の中で見事に開花し、美術展で入賞を続け、全国大博覧会で金貨を受けるなどの大活躍をしました。

渡伊後45年でラグーザ没(86歳)。彼は13年前から視力を失っていましたが、玉は深い愛情で夫に仕えました。一度妊娠しましたが流産し、孤独な生活で、日本語もほとんど忘れてしまいます。

昭和5年、新聞社が玉のことを知り作家木村毅氏に執筆を依頼。調査の末、翌年小説として掲載されたことが契機となり、昭和8年帰国します。以後は新堀のアトリエや軽井沢でも絵筆をとり、イタリアとの親善にも早くしました。

昭和14年、脳溢血で没、78歳でした。墓と記念碑が清原家菩提寺の長玄寺(現麻布3丁目)に残されています。また、夫妻の作品は芸大等に寄贈されています。

(斎藤貞雄:「港区近代人物史」より引用)


玉子の渡欧まで

1861 0文久元(万延二)年六月十日(1861.7.17)玉子:芝新堀清原で生まれる。
1862 1
1863 2
1864 3
1865 4 五姓田義松がワーグマンに入門。
1866 5 高橋由一ワーグマンに入門。
1867 6
1868 7 明治元年
1869 8 明治二
1870 9 明治三
1871 10明治四
1872 11明治五
1873 12明治六
1874 13明治七
1875 14明治八
1876 15明治九 工部卿伊藤博文:工部大学校(現:霞が関三丁目元日向内藤家上屋敷跡地)に美術学校を并設立。ヴィンツェンツォ・ラグーザ等お雇い教授となる。
1877 16明治十
1878 17明治十一 初秋 初めてヴィンツェンツォ・ラグーザ(37歳イタリアシシリイ生)が玉子の家に来る。絵の先生としてラグーザ玉子の家に来るようになる。
同年 倉持子之吉は、現・茨城県坂東市沓掛より上京、絹地に陰影法を取り入れ、写実的に描く和洋折衷の洋風画で一家をなしていた初代芳柳に入門。
1879 18明治十二 初夏 玉子初めてラグーザの家(三田四国町=現芝2〜5丁目とも三田小山町=三田一丁目とも)に行く。それから間もなく、モデルをたのまれ応じる。
1880 19明治十三 子之吉は義松の渡仏にあたり初代の養嗣子となって義雄と名乗る。
1881 20明治十四 義雄家督を相続、五姓田家の戸主となる。
1882 21明治十五年八月十一日(1882.8.11)玉子横浜を発つ。

二世五姓田芳柳

二世五姓田芳柳(1864 ~ 1943)は、下総国猿島郡沓掛村(現・茨城県坂東市沓掛)生まれ。初代五姓田芳柳と、その息子五姓田義松、また、英国人画家ワーグマンなどの影響を受けて独自の作画活動を続け、初期の日本洋画界に足跡を残した画家です。(http://www.city.koga.ibaraki.jp/rekihaku/gosedahoryu2012.htm)
清原玉・・ラグーザ玉(http://ja.wikipedia.org/wiki/ラグーザ玉)
東京芸術大学収蔵 彫刻 - 610 [7327] 清原玉像(http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=7327)


下は、長玄寺 - 麻布十番未知案内 http://jin3.jp/otera/chougenji より Danke!!です。
ラグーザ玉子の眠る寺。元麻布3丁目の長玄寺。