おもろ19
西は上野彦馬・東は下岡蓮杖の円柱大道具東西対抗
上の列 西軍・・いちばん右の写真に上野彦馬撮影とある。同じセットの写真は数枚ある。
下の列 東軍・・は下岡蓮杖だが、慶応三年から明治四年・・・長い。
もちろん東西それぞれは別の大道具。
↓ 下は、甦る幕末からの写真だが、敷物椅子は蓮杖写真の特徴的なもの。
しかし、このカメラセッティングでは、女性の顔のドアップしかとれません。
つまり、これは、写真撮影の方法を説明するショットですな。洒落たことしますね。
右の写真の人物は、文久二年八月二一日の生麦事件で死亡したリチャードソン。
⑨は1861年6月から約1ヶ月をかけ、初代駐日英国公使オールコックが、攘夷の嵐が吹き荒れるなか長崎から江戸まで陸路国内旅行を強行した際同行した、ヴァイス。
同じ敷物で上野彦馬説の「石橋兄弟写真」。円柱は次のリチャードソン写真と同じかと、見間違うほどよく似ている。
リチャードソン写真。これは、文久二年八月二十一日生麦事件以前の写真。しかし、どうやらこれはリチャードソンの来日前の上海の写場らしい・・
上野彦馬説の円柱オブジェと、そっくりだから、余のアタマの中はややこしいことになる。
まあ、手っ取り早く安易だが・・ロシエあたりの動向がきになります・・彼が、このての円柱オブジェを長崎に運んで来たのか・・どうなのか?おいぼれジジイの空騒ぎか・・・? それも良し。
素人の特権で、遠慮しいしほざきまするが、チャートの上の段のショットは「ロシエだ」が余の本心ナリ。あとは専門家のお歴々が良い結論を導いて下さるでしょう。