おもろ29

明治五年、内裏パノラマ写真

内田九一の名誉を守る為のコラム

余は議論が目的でなく、真実をお伝えしたいだけなのです。

古写真研究における、現状のふがいなさを嘆き、とても熱心にそれらを打破しようと、日夜頑張っておられる方がいる。仮にTさんとしておく。
しかしそんな立派な方でも多少の独善と多少の情報不足があるようだ。
たとえば、一例。
あるところで以下のようなことを仰っている。

(前略)
A:明治5年の『西国御巡幸写真帖』を明治天皇に献納した内田九一は京都において「パノラマ写真もどき」を撮影しています。
(中略)

B:写真と対応させると、左から1枚目は「御庭池」の右下の淵辺りから撮られたと思われます。「小御所」の屋根の端が写っていません。2枚目の写真は、「御庭池」の大きい方の小島上から撮影されたと思われます。少し右にカメラを振り過ぎたので、「小御所」の屋根が十分に視野に入りませんでした。一方、3枚目は、その小島から真っ直ぐ上方に向かってカメラを構えて撮影したと思われます。その結果として、2枚目と3枚目は完全に連続性を失いました。
(中略)
C:九一は「パノラマ写真」を撮影する経験が不足していたのではないかと思われます。「鳥羽港」の3枚の写真も「パノラマ写真」になっていません。
(後略)

余はむかーし、●●映画社という時代のCM制作会社に入社した。
そんなわけで、カメラレンズ等に対する知識や経験は、一般のお方よりは多少のアドバンテージを持っている。
とうぜん、前出の記事を目にした瞬間、Tさんともあろうお方がと悲しくなった。
余は、Tさんによって語られた内田九一の「無念」を晴らしてあげたいとここに立ち上がったのです。

Aは、「パノラマ写真もどき」ではなく立派な「パノラマ写真」です。
Bは、三箇所からバラバラにとらえているのではなく、橋上の一箇所から水平パンでそれぞれを撮影しています。
Cは、もともと単独の一枚と二枚組のパノラマ写真であり、どうあがいても三枚組のパノラマにはなりませんのでご指摘は間違いです。

証明のためのぐたぐた説明は省きます。
余はshade13で検証した3Dグラフィックの結果を提示するにとどめます。

ただし、検証ということから、ちょっとだけ手順を示します。

グーグルマップと衛星画像を基準に、各建物を配置した。
建物の配置大きさは地図に従うが、高さやデザインは仮。
レンズの選定は地図上で、実際に写っている範囲をもとにカメラ位置を割り出す。
キャメラポジションは、写真にも写っている池の中島に掛かる太鼓橋の真ん中辺り。
そのトータル角度を3で割れば水平画角が解る。
35mmフィルムカメラ換算で焦点距離36mmのレンズで、三枚のCG画像を書き出す。

ごらんください。

この写真師内田九一は、下手でも上手でもありません。普通です。
橋上の一箇所からただ単純に水平パンをしているだけです。
あちこち移動をして構成してはおりません。
画像に写っているモノをよーく観察して、考察されることも大事です。

以上

それにつけても毎度のことだが、Shade13は素晴らしいアプリケーションソフトであると褒めてあげたい。


ちなみに35mmフィルムカメラの焦点距離50mm相当の所謂標準レンズで構成すると

大同小異ですね。当時は蛇腹で歪みを修正する技術はまだありませんからMr.Hikomaでも同じ結果だったんです。