今回は、ズバッと坂本龍馬の写真における△の光り漏れの核心に入ろうと思う。
日本に写真機がもちこまれ、約二十年が経って、やっと日本人による「まともな写真家」が誕生する事になるのだが、まだまだ印画感光剤の感度が遅く、露光時間が長くかかる撮影だった。
人物ポートレート撮影には、四方に丸太を立てそれを安定させるフレームを組み、バックに白布をたらし、太陽光の直射を避けるため、トップもサイドも白い布などで覆い、四角く白いテントのような写場を作った。
そして、写真を撮られる人は、椅子に掛けたり、大きな台に寄り掛かったり、とにかく身体を数秒間、場合によっては数十秒と静止している必要があった。さらに時には、現代よろしく白粉を顔面に叩いて、コントラストを緩和していた。
むろん、毎日毎朝そんな鳶職仕事をするのも煩わしいと、師匠達は、簡易ながらSTUDIOをちゃんと作っていた。
「四畳半上野撮影局STUDIO」である。
余は先ず、△の光り漏れはSTUDIOのトップから射した光であることを示すために、上野彦馬の「写場」を、いつものShade13で再現することにした。
この古写真なんじゃらギョウカイ、実は伝統的に平気で嘘をつくギョウカイだ。単なる思いつきを「・・の可能性がある。」などと不合理に結論づける嘘である。全く根拠も無くただの思いつきや願望だからまことに手に負えない。
よって、余の仮説もそんな類だと思って頂いて結構。ただ、仮説に至る根拠はキチンとお示ししているわけで、そこんところは少しは論理的だと区別していただきたいものだ。
余の下らぬぼやきでまたまた、紙面が尽きました。ごめんなさい。
それでは天国の井上俊三に代わりて 今日は、ここまで。