おもろ38

さがせさがせ

今回は余にとってのおもろい話

フルベッキ写真に登場する先生たちの、もう一枚撮りましょうか写真の人物を除いた空舞台の想像図をアナログ遊びで遊んでいたら、おやおやもしかしてと感じた。

さっそく、龍馬写真が撮れた日時探しプロジェクト用のシミュレーションで、モノは試しとやってみたら、やはりドンぴしゃ。

Shade13で使用した、建物データのディテールは超荒荒なれど、大筋は問題なし。 おおグッドでしょと余は大満足。

フルベッキ写真に登場する先生たちのもう一枚撮りましょうか写真は、かの有名な、生徒たちとの写真撮影後の、おそらく午後三時過ぎの撮影でした。おっとこれは単なる推測、根拠なし。

とんでもない。ちゃんと根拠がありました。ただし生徒たちとの撮影とは異なる日のようでしたが。


佐賀県近世史料第五編第一巻 幕末伊東次兵衞出張日記

明治元年十月八日 雨
(略)
一 今夕三字中嶋写真ニ、フルヘッキト一同参リ候事、曇天ニ付不十分候事、硝□写而已也
(略)

西暦1868年11月21日土曜日  雨
(略)
一 今日の午後三時、中嶋に写真撮影のため、フルベッキと致遠館スタッフ一同と行った。幸い雨は上がったが、曇天の為、出来上がりはイマイチ。硝子写しにのみで、紙焼きはない。
(略)


さてさて、この一枚の写真の撮影ポジションが確認できても、フルベッキ写真撮影写場の候補地の範囲は一気に狭まったわけではないが、ゲームとしては面白いことになったわいと、余はひとり悦にいる。

次は、あの幅三間写場の在った場所を、合理的な切口で探してみようと思うなり。

参考に、裏側からだが建物ABの様子がわかるカットとして、写真集甦る幕末の122図をご覧あれ。

もう一枚撮りましょうか写真の、建物ABの共通特徴ポイントを、しっかり確認して見てください。ご納得頂けましたね。

上野彦馬の屋敷の全貌がやんわりと解る、この甦る幕末の122図には、精錬所時代の図面には載っていない建物が少なくとも4っ以上あり、この中に件の物件があるとか無いとかの予断は当然許されない。

なお、これには明治の初期とのキャプションはあるが、はいはいと鵜呑みするのも今のところ慎重にいたそうかと思う。

この時期の1年2年の誤差は、気分的に現代の10年20年の以上の誤差になりまするから、余は、注意注意をいっそう心懸けまする。

付録