大日本全国名所一覧という写真集に「萬年橋」とお題があるらしい。
しかしである。
新大橋は、元禄六年創架当時長さ京間で100間、幅が3間7尺の大橋であった。
その後度々架け替えがあり、嘉永二年の立て替えが最後である。
橋の長さから逆算してわかるが、当時の墨田川の幅は200メートル近くあった。
写真を見ても橋のある川はそんなに広くはない。 ネットでひろった「新大橋」の写真と比較して見れば一目瞭然である。
写真は嘘はつかない。
つぎに、太陽の位置を見てみると、川向こうの蔵屋敷の屋根に、屋敷内の大木の影が落ちている。つまり蔵屋敷のある方向は北ではないのである。東か南か西である。
そこで再びどこやねん!となる。
この写真集は「全国」と謳っていることから、全国の大きな都市の幅50間程の川を探せばよいのである。
それでこのページのタイトルの意図がおわかり頂けたと思う。
余は大阪の堂島の蔵屋敷のあたりがあやしいと睨んで、大阪の橋の写真を探し、ついに甦る幕末97の「DoJima川」写真に巡り会った。
どうじゃ!蔵前の木といい屋敷内の大木といい問題なく同じ場所である。
ただし余はこの橋が何橋かまでは未だにいたってはいないが、大江橋の線で確証を探っている。
刊記 : 天明九年己酉二月御免(1789年2・3月) 文化三年丙寅三月彫成(1806年4・5月)
青でマークした広島藩と久留米藩蔵屋敷浮世絵