しかし、写真の台紙は、横浜と浅草に写場を構える内田九一のものだ。
彦馬も九一も日本の商業写真家の魁として特に有名だ。
だが、もし、写真台紙の裏表のキャプションが無く、かつ、彦馬も九一も知らない人だったら、台詞裏の写場のロゴマークから、この写真は内田九一の写場で撮影されたものと思うだろう。
かように、キャプションは写真にとって重要な情報Dataなのだ。
つまりこの写真は、長崎で撮影された「モノ」で、横浜or浅草での「リプリント」ということだ。
どっこい、どっこい、通常ならばこれで一件落着なのだが、正確には「モノ」がくせ者で、「モノ」がガラス原板なのか鶏卵紙への紙焼なのかとか、はたまたリプリントなどではなく、単に、九一の台紙に彦馬のオリジナル紙焼を貼ったものかとか・・実は余にも本当のことは今日の政府答弁と同様に、オリジナルがなんだったのかその実態は全く判らないというところだ。
さて、さて、
写真に写っているDz Robertsonと写真の所有者(Myself)はいったい何者だろうか?
Myselfは椅子に腰掛けているフェリーチェ・ベアト
とすると、キャプションはフェリーチェ・ベアトの直筆となるわけで、興味は尽きない。
??? ベアト兄弟の写真の先生にJames Robertsonジェイムズ・ロバートソンという人がいるが、時代はずーと前でしかも中近東。
パートナーのロバート ウォルシュ たちと 1878
結局、分からんことがいっぱいだから古写真は面白いのだ。