囂kamabisuan庵

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2月10日

桑名より食はで来ぬればと云日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ぬ ・・笈の小文

  歩行ならば杖つき坂を落馬哉 芭蕉
(かちならば つえつきさかを らくばかな)

 桑名より くはで来ぬれば ほし川の
 朝けは過ぎて 日ながにぞ思ふ (説西行)

前詞には西行さんをいただき、その日永より乗馬で出発したが・・途中の急坂で落馬した。

あげく馬子にも どーしょーもねえ乗り手だと馬鹿にされる。

此の句の意
歩いて登っていればなあー 
あああ、杖突坂で落馬しちまっただよ
歩くのが勝ち。乗馬が負け。だって杖突き坂だもん。
後悔後悔・・っうことだじ。

  さて、
余の棲む地方。
凍った道路での転倒は・・痛い。
いやそれどころか、骨折なんてザラだわさ。

そこで、普段余は、市販のスパイク付きの滑り止めを靴裏にセットし、スタスタやっておるが、これがビルなどに入るとカチャカチャうるさい。

困ったことに、柔らかい床などには無粋なキズをつけるし、金属や超固いタイル上では逆によく滑る。

それに、いちいち戸口での脱着がめんどくさい。

そこで、DIYで床にキズをつけない「チェーン式」を作る。

昔爺さんや親父さんが長靴にワラ縄巻いて滑り止めにしていたアイディアの改良版だわさ。

でけた。
さっそく実力を試したいのだが・・

このところ路面がつるつるでないので、まだ目的の性能確認はできていない。

ただし圧雪ザラザラ状況ではなんら問題はない。
もちろん、ビルの中もだ。
つまり、いまのところ上出来だじや。つるつる路面以外は・・

なんと不謹慎なれど、路面がつるつるてかてかの日々が待ち遠しい。

歩行なれど氷雪坂を不倒哉 半可ξ
(かちなれど ひょうせつざかを ふとうかな)


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2月11日

雪悲しいつ大仏の瓦葺き 芭蕉
(ゆきかなし いつだいぶつの かわらふき)

元禄二年十二月。

芭蕉が訪れた時の大仏様は野晒しだっただよ。

奈良東大寺大仏殿、
初代は治承四年平重衡などの南都焼討によって焼失、
二代目は永禄十年松永久秀と三好三人衆の戦闘で炎上していた。

芭蕉が訪れたこの後宝永二年に、
現存の三代目大仏殿は落慶されただよ。

  さて、
かってさっぽろ雪祭りで奈良の大仏殿や鎌倉の大仏の大雪像を見たような気もするが、定かではない。

今年は薬師寺金堂の大雪像が、薬師三尊のプロジェクションマッピングで人気を得ているようだべさ。

余は夜遊びが苦手なので、見てはいない。

余の写真はとりあえず、のっぺらぼうの昼のすがたじゃ。

午悲しいつ御仏とご対面 半可ξ
(ひるかなし いつみほとけと ごたいめん)

で、夜は・・youtubeから失礼して・・

https://www.youtube.com/watch?v=dKF3zcF9oOw


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2月12日

廿九日立春ナレバ(寛文二年)

春や来し年や行きけん小晦日 芭蕉
(はるやこし としやいきけん こつごもり)

さーて、本年の陰暦の一月一日は2月16日だわさ。
今日は師走の二十五日だす。

陰暦の立春は新年に当たるわけだから、陰暦使用の芭蕉さんの時代は、大晦日が節分となるわけだだが、どっこい必ずしもそうでもない。

年により、立春節分が元旦を前後するということだ。

はやい話、大晦日=節分・元旦=立春という理想的な組み合わせはむしろ稀なことなんざんす。

それは、太陽の運行とお月さんの満ち欠け日程のズレから生ずることで、理屈が解れば何の違和感もないことでさ。

  江戸期の暦は太陰太陽暦。

太陽暦から算定する冬至春分夏至秋分などは、生活リズムのモデルパターンを示す暦としてとても重要だったんだわさ。

つまり陰・陽ミックスが江戸期の暦の基本なんでさ。

だから、秋田のなまはげって、立春節分の行事として、陽暦の正月の前日の「大晦日」にやるんだわな。

かつては、秋田に限らず日本各地で立春節分の日に、一年の邪気を払うための様々ユニークな行事をしたんだろうな。

節分の打ち豆も旧暦時代は正月の前後の立春にやっていたんだな。

さーて、再度。
本年の陰暦の一月一日は2月16日。
節分は陰暦十二月十九日・2月3日だった。

ちょっと前の話しだすが、

十九日立春ナレバ
春や来し七十三粒師走中 半可ξ
(はるやこし ななじゅうみつぶ しわすなか)


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2月13日

磨なをす鏡も清し雪の花 芭蕉
(とぎなおす かがみもきよし ゆきのはな)

貞享二年十一月二十四日熱田神宮に詣でて詠む。

野晒し紀行の際は工事中であった熱田神宮の修復はすでに終わっていた。

石敷く庭のさゆるあかつき 桐葉
(いししくにわの さゆるあかつき)

と芭蕉桐葉の両吟歌仙は続く。

  雪の華といえば、六華であるが、PyongCangオリンピックのスケート会場の意匠を見ていて、おやっ?と思った。


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六華っうより十二華に見えて本当にこれ有るかなと思っただけのことでごんす。

余はかつて有名な和手拭いメーカーに八華の雪デザインはおかしいでしょとメールしてその商品を廃盤にさせた男だす。

十二華は有りそうなので、雪博士大名土井利位の「雪華図説」で調べてみただ。

有りました。ありました。ありましたでごわす。

で、どうなの?ってお思いでしょうが・・

・・そーいうことです。

磨なおす脳ミソ清し雪の華 半可ξ
(とぎなおす のうみそきよし ゆきのはな)


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2月14日

古川にこびて目を張る柳かな 芭蕉
(ふるかわに こびてめをはる やなぎかな)

元禄八年に刊行された「矢矧堤(やはぎつつみ)」掲載の句だが、いつごろ出来たものかは不明でごわす。

柳の芽・芽柳・芽ばり柳は春の季語。

萌黄色の柳の新芽が、早春の河畔に風で揺れている情景を、色っぽく、そろりゆさゆさと思わせぶりに腰を振って、古川の爺さんに色目を使ってる姐さんにみたてて洒落とばしている。

初期の談林調下世話ネタ遊戯俳諧時代のモノでしょうな。

  さて、さて、暦の上では、もう春が来た頃ではあるが、当地は一向にその気配すらねーでがす。

川柳の木は雪のお蒲団にくるまったままだわさ。

気象予報士はあと五六回本気の雪掻きが終わればこの地も春になりますとテレビで言っちょった。

    古河にこびて雪花の蒲団かな 半可ξ
(ふるかわに こびてせっかの ふとんかな)

補足:半可ξのこの古河は実は古河(こが)藩主土井利位(どいとしつら)様。昨日の「雪華図説」のお殿様だじょ。

おいー天よ!天の神様よ。土井くんがそんなに雪が好きだからってもうそろそろ雪はお仕舞いにしませんかね・・


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2月15日

日にかかる雲やしばしの渡り鳥 芭蕉
(ひにかかる くもやしばしの わたりどり)

宝永元年刊去来卯七による「渡り鳥」に掲載の句だが、句作の時期は不明だと。

句意は、陽がかげったようなので、ふと空を見上げると、タイミング良く渡り鳥が連なって渡っていくのがよく見えた。っう普通の解釈と、何物かが太陽の光りを遮ったので見ると、雲状の渡り鳥が・・っうヒッチコックの「鳥」チックな解釈もあるんだとよ。

たしかに前者はそれで?っう感が残るが、後者の方が自然の驚異っうか生命の恐怖感も混じっておもしろい。

で、二つの解釈聞いたあとにもう一回読むと、どうもヒッチコック路線解釈は怪しいと余は思うぞな。

平凡で・・よろし。

さて、さて、
例年のごと、ヒヨドリが寒冷追熟のナナカマドに群がっている。
やっとひとつの春が来た。

ナナカマド喰ふしばしの帰るひよ 半可ξ
(ななかまど くらうしばしの かえるひよ)

これ、もうすっかり年中行事でんな。
でも、実はこの写真10日前の2月4日のもの。
昨年より20日も遅い。


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2月16日

月代や晦日に近き餅の音 芭蕉
(つきしろや みそかにちかき もちのおと)

元禄六年、50歳。江戸での最後の「年の瀬」。と。

つき‐しろ【月白・月代】
月の出ようとするとき、空のしらんで見えること。と。

晦日に近いということで、このころのお月さんは下弦のしかもほっそーい月。

うーん?

現代の夜では決して空が白む事なんて無かろうが、チョンマゲ時代は街灯りもおとなしく、きっとほっそーいお月さんがキラリンとシャープに格好良く出たんでしょうな。

いいなあ。

本日2月15日は、旧暦では大晦日だす。


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ほっそーいシャープなお月さんがキラリンと出てくれないかな。

飲み代や晦日に近きベルの音 半可ξ
(のみだいや みそかにちかき ベルのおと)

昭和のサラリーマンは飲み代はみんなツケ払い。

月末になると飲み屋のママさん達からの、催促というかお誘いというかの電話が絶えなかった。

平成のジジイは札幌でトップクラスの蕎麦屋で、年越蕎麦の午にした。


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2月19日

老の名のありとも知らで四十雀 芭蕉
(おいのなの ありともしらで しじゅうから)

元禄六年十月頃。と。

沾圃・其角との三吟歌仙の一句(許六真蹟書簡/続猿蓑)。と。

さて、
本日の寒中散歩の途中、ツピィ・ツピィ・ツピィときれいな高音の鳴き声に、プラタナスの裸枯木をみあぐれば、四十雀一羽東の空を見て囀りおった。

キャメラを取り出す隙もなく、その四十おとこ(おんなかもしれぬが)は飛び去った。

さてさて、
先ほど女子の団体パシュウトを見ていたら、なんと、彼女らのレーシングスーツのデザインが四十雀のお姿とピッタンコ。

同じ衣裳ありとも知らで四十雀 半可ξ
(おなじふく ありともしらで しじゅうから)

ちなみに、余が初めて「四十雀」を知ったのは、おおむかしの大正製薬のCM・サモンなんじゃらにご出演した、中高年のサッカーチーム「四十雀」だわさ。

こちらは、老の名のありとも知りて四十雀 ざんした。

美声の若き四十雀さんには関係ないけれどね。


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2月23日

野ざらし紀行 序

貞亨甲子秋八月、江上の破屋をいづるほど、風の声そぞろ寒げなり

野ざらしを心に風のしむ身哉 芭蕉
(のざらしを こころにかぜの しむみかな)

秋十とせ却て江戸を指古郷 芭蕉
(あきととせ かえってえどを さすこきょう)

妙な緊張感と妙な望郷の想いで旅に出る。

ある種若い芭蕉の力みが受けるのかも知れぬ。

十年は当時も今日も人の人生を大きく変えるには十分な時流だわさ。

そこんとこが、この句の凄味っうことで、余は注目するわけだわさ。

なにに?って?

なんか天下御政道と世相嫌悪っうか・・

    
さて、十年っうことで、
なんとなく太陽八惑星兄弟の今後十年の動きでも見てみようと、久々Shade3Dでシミュレーションしただ。

太陽の大きさと、太陽からの距離はモデル化したけんど、兄弟達のスケールと太陽に対するポジション角度はだいたい天文dataに沿っていますじゃ。

ちょっとしたミニユニラマっうてことで笑ってたもれ。

こいっは、地球の十年を30秒で見てるんだけど、惑星にとって恒星一周が一年とカウントすれば、土星の暦はまだ四月、水星にいたっては四十年・・

兄弟はみなそれぞれ個性的だわさ。

あと十年却ってどこやおら故郷 半可ξ
(あとととせ かえってどこや おらこきょう)

宇宙は何も解っていないから、却って安心だ。

これ、政治家がカオス状態を作り利用する政治手法の極意と同じであるわさ。

あらためて
野ざらしを心に風のしむ身哉 芭蕉

2018年2月23日より10年間の太陽系惑星のCGだす。
真ん中でせわしく動く青の小さいのが我が地球だす。

映像で見る
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2月26日

槙の戸をたたく水鶏のあけぼのに
人やあやめの軒のうつり香    藤原定家

なんともモヤモヤと甘ったるく色気のある歌だわさ。

藤原定家は平安末期から鎌倉初期の超有名な代表的な歌人。

勅撰和歌集の「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」や「小倉百人一首」の選者としてよーく知られている。

で、今日の芭蕉句

この宿は水鶏も知らぬ扉かな 芭蕉
(このやどは くいなもしらぬ とぼそかな)

いつ頃の作かは不明。だそうだす。

でも、定家の歌のような男と女の逢引きが、句の裏にしっかりあることは歴然なり。

しかし、一般的な解説は、人も訪ねて来ない寂しげな宿じゃいわい。などと爺婆くさく仰るが、どっこい・・実は、扉(とぼそ)がキーワード。

とぼそ(枢)は、
枢 と‐ぼそ 「戸(と)臍(ほぞ)」の意 1 開き口を回転させるため、戸口の上下の框(かまち)に設けた穴。 2 戸。扉。

このほかに、戸は男、枢は女の喩え。ともある。

するっうと・・

この家のお方は、男はんがトントンするのを恥ずかしがっての知らん顔でごわすかいな?

っう、謎かけのちょっとほんわかな恋歌なんでがんす。と余は断言する。

よって、結構初期の談林風で闘っていた時代の句であると思うのじゃが、さてさて。

水鶏(くいな)は戸を叩くような鳴き声なんてあるが、ほんとかいな?で、いろいろ聞いてはみたが・・

叩く音っうより「きぃーっ」と軋む戸を開けるような鳴き声でやんした。

ここで浮上するのは、定家も芭蕉も本当は水鶏の鳴き声を知らんのではという疑惑だわさ。

定家も芭蕉も、先人達が「水鶏の鳴き声は戸を叩くような音だじ」というお話を、どこかの総理のように検証もせず、右から左と引いて詠んでいるにすぎぬのでは?とな。

定家も芭蕉も、その後この件に関しての訂正はない。

本日の予算委員会を聞いて
与野党は水鶏も知らぬ扉かな 半可ξ
(よやとうは くいなもしらぬ とぼそかな)

こうするとまた水鶏のニアンスが違ってくるから不思議だ。


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