囂kamabisuan庵

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7月1日

涼しさを絵にうつしけり嵯峨の竹 芭蕉
(すずしさを えにうつしけり さがのたけ)

元禄七年京都嵯峨野の野明(やめい)亭にての句。と。

嵯峨野に寓する去来の親友黒田家浪人野明を訪ね、夏の竹林の涼しげな佇まいを捻った句。

その竹林の竹の末裔の親戚が、ホルベインの教材用筆の軸となって、半可ξを画伯に育てようとこの世に現れた。

涼しさを絵にうつしたきおのが術 半可ξ
(すずしさを えにうつしたき おのがすべ)

はて?はて? 何十年かかるやら。


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7月2日

半日は神を友にや年忘れ 芭蕉
(はんじつは かみをともにや としわすれ)

季節がらもなく元禄三年師走の句ですが・・

元禄三年冬、芭蕉は上方で越年、京都鞍馬の上御霊神社の神官小栗栖祐玄に招かれて忘年歌仙を巻く。その折の挨拶吟。と。

本日めでたくカレンダー的に本年の半分を通過いたします。


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スキャンダルと不誠実と傲慢破廉恥にはあきれかえる、思えば実りの少ない前半の半年でございました。

このまま腐り落ちる残り半年とならぬよう祈りつつ

半年は苛政ばかりや御禊かな 半可ξ
(はんとしは かせいばかりや みそぎかな)

一年の実りは後半に期待致しましょう。

7月3日

文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉
(ふみつきや むいかもつねの よにはにず)

元禄二年四十六歳の作である。と。

明日の夜は七夕だ。

でも、こよい六日の夜も、うふふ・・なかなかいいこと有りそうですわい。

直江津の宿で土地の俳人と巻いた連句の発句である。と。

男女の密会とは言わぬが、宗匠久しぶりの女人の参加に興奮気味。

これ実際には旧暦なので、西暦1689年8月20日土曜日の晩であります。

さて、

文月や二日も常の夜には似ず 半可ξ
(ふみつきや ふつかもつねの よにはにず)

これは2017年7月2日の夜のことであります。


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7月4日

わがきぬにふしみの桃の雫せよ 芭蕉
(わがきぬに ふしみのももの しずくせよ)

伏見西岸寺の住職任口上人を訪れての句。だと。

訪問をしたのは春で、桃の花のころ。だと。

伏見名物の瑞瑞しく甘く美味しい果汁いっぱいの桃の実はまだ無い。

そこで、上人さまの有り難い教えのことばを桃の滴と表現。

芭蕉お得意の、よいしょ句である。

余は兄へのあるものの誘い水として毎年夕張メロンを送っている。

わがきぬにいいだの桃の雫せよ 半可ξ
(わがきぬに いいだのももの しずくせよ)

故に兄からのお返しが届くのにあとひと月はかかる。

なぜ飯田かといえば余の本籍が信州っうことに少し関係がありそうだ。

ところで、安土桃山時代の桃山は伏見のこと。

しかしどうして安土大坂時代とはならなかったんだろう。


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7月6日

わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく 芭蕉
(わたゆみや びわになぐさむ たけのおく)

野ざらし紀行
大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云處は、彼のちりが旧里なれば、日ごろと ヾまりて足を休む。

葛城の庄屋油屋喜衛門宅へ寄寓のときの挨拶句だと。

綿弓は、綿糸を紡ぐときに、綿花を打ち柔らかくする弓状の道具だと。

べんべんべん・・と琵琶のような音がするとかさ。

こちらわたはわたでもポプラの種子。


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創成川堤防の見事なポプラ並木下の歩道の際に積もったり舞ったりしてる。

タンポポの綿毛よりはジャンボ。

もうそろそろ終わりだけど、最盛期はワンワンと雪が舞ってるようにも見える時もあるぜ。

涼風やポプラ綿毛の飛行隊 半可ξ
(すずかぜや ぽぷらわたげの ひこうたい)

こちらの飛行隊は全く害をおよほさない。

7月7日

何にこの師走の市にゆく烏 芭蕉
(なににこの しはすのいちに いくからす)

元禄二年の暮の作。

なんで?なにしに?

師走の市にカラスはギャーギャー騒いで行くんだろうかね。と。

貧乏な芭蕉さんは歳末バーゲンに群がる人々とカラスの両方を指をくわえて見ているのでしょうな。

でもさ、そんなの、カラスの勝手でしょ。

昨日青少年科学館で、見かけたカラスくん。


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その建物の角隅に近寄ってきてカーと鳴いた。

自分の方に近づいて来る別のと思い込んでいる自分の鏡像を警戒気味に暫く見やった後、多少の威嚇を試みてから、それぞれの相手たちが一向に攻めて来ないのでつまらなそうに帰っていった。

何にこの夏の展示にゆく烏 半可ξ
(なににこの なつのてんじに いくからす)

かれは展示場には入りたかったが他のカラスたちに妨害されたとでも思っているのかなあ。

でもさ、そんなの、カラスの勝手でしょ。

7月9日

涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉
(すずしさを わがやどにして ねまるなり)

ねまる=山形方言で寛げる意味だと。

奥の細道の旅中尾花沢にて清風という資産家の家にやっかいになる。

真夏の旅はさすがに辛い。方言の「寛げる」ぐっすり「眠れる」を駄洒落てる。

さて、涼しい夜はもっと長く、暑い昼はもっと短くあって欲しいが、現実はその逆。

さらに、当地はお江戸に比べて本日で45分も昼が長い。

白夜っう程ではないが、けっこう涼しい夜の時間が少ないのだ。

お江戸と比べてくらはい。


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涼しさを我が宿にしてあずましや 半可ξ
(すずしさを わがやどにして あずましや)

あずましい=北海道方言で落ち着いて心地よい とはなかなかならんです。

余が書いた割駒式時計のスクリプト

ダイレクトに場所(札幌・江戸・京都)を選んで西暦の月日を入力して表示をクリックするとその日の時計がでます。

上の方の和暦の何月何日をインプット後でも表示をクリックでその日の西暦日対応の時計がでまっせ。


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7月11日

草いろいろおのおの花の手柄かな 芭蕉
(くさいろいろ おのおのはなの てがらかな)

貞亨五年八月。『更科紀行』への出発に際して美濃の門人たちに発した留別吟。と。

草にはいろいろあってさ、それぞれ個性的な花を咲かすじゃん。あんたはんたちも同じ事で、おのおのお見事。いい花咲かせてまっせ。

歯が浮きまする。


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道いろいろ おのおの呆けの 手柄かな 半可ξ
(みちいろいろ おのおのぼけの てがらかな)

ある総理が、お友達閣僚と忖度官僚を褒めている図を想像しちまいました。

このたびの人事を見ても、まっこと、記憶力がお粗末で、書類管理が杜撰な人々しか、スーパーエリート官僚に成れない事実に、あぜんとする 半可ξ であります。

ご意向も忖度も法律的には犯罪でないんだからいいじゃんという与党のみなさまの品位にも今更ながらあきれ果てます。

せめて老人は、結界で何かを訴える花たちの写真と川柳で嘆いてみました。

7月12日

文ならぬいろはもかきて火中哉 芭蕉
(ふみならぬ いろはもかきて かちゅうかな)

寛文年間、伊賀上野在住時代の作。と。

文ならぬいろは「色葉」で紅葉のこと。
紅葉落ち葉は熊手で掻いて焚き火で燃やす。

それと、手習いの書き損じも火中にくべて燃やす。

更に、男と女の色事も、もがき苦しみ大やけど。

初期の俳諧は、ことば遊びで、ことばをかけ合わせたり、駄洒落たりで、滑稽さや可笑しさの腕を競ったんだわさ。

その筋のレベルとしては、まーまーざんす。

藤井四段十五才。プロ公式戦30勝1敗。


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はくせんに心志を達す十五才 半可ξ
(はくせんに しんしをたっす じゅうごさい)

はくせん
白扇=白地の扇 
搏戦=打ち合い闘うこと
白戦=武器を持たず素手で闘うこと

余もまた、その筋のレベルとしては、まーまーざんす。と自画自賛。


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7月13日

命なりわづかの笠の下涼み 芭蕉
(いのちなり わずかのかさの したすずみ)

延宝四年夏。三十三歳。
芭蕉二度目の帰郷の折、小夜の中山での作。と。

西行の新古今和歌集覇旅九八七

 年たけて また越ゆべしと 思ひきや
 いのちなりけり 小夜の中山 

芭蕉が西行にとことん心酔していたといってこの句もそこが味噌なんて言う人もいる。

しかし、ここでは、六九才の悲壮感漂う決意の上の西行の「いのち」を、芭蕉くんは、もう暑くてかないませんわ、あちいあちい命保ちませんわ・・程度の「いのち」で茶化しているとしか余には思えませんな。

まだまだ駆け出しの俳諧師芭蕉の姿がよく判りますな。

こんな芭蕉くんも経年品質向上で俳聖の冠を戴く頃は、ほんま心から西行に傾倒していることわかりますわ。

人生って徐々に向上させることができる人と、できない人っているんですな。

だれとはいいませんが。

命なり選挙の時の美辞麗句 半可ξ
(いのちなり せんきょのときの びじれいく)

近ごろは川柳ばかりで向上出来ないと半可ξがぼやけば、イヤイヤ元から能力才能が無いから、君の場合は向上しかないよとやさしい天の声が聞こえた。

ありがたや。

命なりわづかの嵩の舌涼み 半可ξ
(いのちなり わずかのかさの したすずみ)

当地も30度越が連日だすが・・
猛暑地獄にお住まいの皆さまには申しわけ無い軟な暑さです。
ご自愛下さい。


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7月17日

ひやひやと壁をふまえて昼寝哉 芭蕉
(ひやひやと かべをふまえて  ひるねかな)

元禄七年七月上旬。大津の門人木節亭。でと。

さすがに当地記録更新の暑さでありまして、実感しきりでざんす。

ひんやりと冷たい壁に足をピタッとくっつけて、いい爺さんが昼寝をしているのもゆるそう。

でも、凡人は「ひやひや」って聞くと・・

ひやひやと二杯続けて冷酒哉 半可ξ
(ひやひやと にはいつづけて れいしゅかな)


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7月18日

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
(そばはまだ はなでもてなす やまじかな)

元禄七年九月三日。この日、伊勢から門人支考が伊賀上野にやってきた。んだと。

遠路はるばるの支考くんに、蕎麦でもひとつ献じたいが、あいにくまだ花の時期で・・まあこの景色のおもてなしっうことで我慢してちょうよ。

さて、本日立ち寄った余が大すきなお蕎麦屋さん「けん豆」の店先にちょびっと蕎麦の花。

こちらも蕎麦はまだ花でしたが、むろん、おいしいお蕎麦は戴きました。

蕎麦は先ず花でもてなす蕎麦屋哉 半可ξ
(そばはまず はなでもてなす そばやかな)

UPしてみれば、まだ蕎麦の実も白い。

あと一と月もすれば収穫出来るけどきっとまずいよと亭主氏曰く。

喰えるほどの量もないのにいらぬ心配をしておった。


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7月19日

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
(ふるいけや かわずとびこむ みずのおと)

貞亨三年、四十三歳の時の作。だと。

あなたの知っている芭蕉の句は?と聞けば100%の人がこの句をあげるだろう。

深川の芭蕉庵に門弟を集合させて「蛙」をお題に句会を開いた。

貞享三年閏三月そのうちの40句を選び『蛙合』として刊行したのだそうだ。

芭蕉ははじめ、中七・下五の「蛙飛ンだり水の音」 までできたが、上五に悩んでいた。そうだ。

 古池や蛙飛ンだり水の音 芭蕉
 (ふるいけや かわずとんだり みずのおと)

これが、第一稿ということなり。

しかしこの話が本当なら芭蕉と言うお方の才能を世間は過大評価しているのかも知れない。

 古池や蛙飛ンだり水の音
 古池や蛙飛びこむ水の音

まったく世界が違う。全く感性が違う。

さて、
余が棲む街の真ん中に中島公園というありきたりな名前の公園がある。

ここの池には渡りをサボって棲みついちゃった鴨たちが数十羽いる。


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彼彼女らは、池際でだらだら野生を忘れ時を過ごしている。

中には平気で余が足もとにやってきて、ちらりと余を一瞥しやがるやつもいる。

困ったことに野生に餌を与えるバカな人間と間違えたのだろう。

餌などないわい・・残念でした。

もう行けや駄鴨飛びこむ水の音 半可ξ
(もういけや だがもとびこむ みずのおと)


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7月20日

近江蚊屋汗やさざ波夜の床 芭蕉
(おうみがや あせやさざなみ よるのとこ)

延宝五年、芭蕉駆け出し宗匠時分の作だと。

「さざなみ」は「大津」「志賀」などにかかる枕ことば。

さらに、波のつくりだす文、また波の寄る意から、「あやし」「よる」「よす」にもかかる。

そのへんを理解してあらためて翻ずれば、はやい話が、蚊帳の中の男女の濃厚な営みを、談林風に滑稽に駄洒落を交えてまとめたつもりの句なのである。

三・四十代の男達が車座になって、卑猥な表情でこんな句を吐いては喜んでいたのですな。

以前にも触れたと思うが、市民町人が武士社会とは別個の自由社会を求め始める時代が到来しつつあることが背景にあるのだ。

さて、余も夏場には年甲斐もなく大いに汗をかく。

炎天下自転車で走りまわるという大汗だ。

その際、塩分+水分補給のため欠かさず飲むのが「ソルティライチ」だ。

この飲み物コンビニでは125円程するが、昨日、イオンで80円で売っていたのに驚いた。

炎天下汗やさざ波昼の道 半可ξ
(えんてんか あせやさざなみ ひるのみち)


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7月22日

嵯峨日記十九日

嵐山藪の茂りや風の筋 芭蕉
(あらしやま やぶのしげりや かぜのすじ)

この句の味付けは、平の清盛はんが一人勝ちのころのある悲話でござんすどす。


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当時、小督(こごう)はんという禁中第一の美人でお琴が超上手なおなごはんがおったどす。

その小督はんが高倉天皇はんにえらくご寵愛されたことが事の始まりどす。

天皇はんの中宮はんの建礼門院はんのパパの清盛はんは、このことに怒り心頭。大噴火。

 平清盛─建礼門院徳子
      ┃
     高倉天皇
      │
     小督局

周りの人々の忖度から圧力やら嫌がらせなどいろいろありまして、身の危険を感じ小督はんはどこやらへ身を隠してしまいましたどす。

そんでも天皇はんは小督さんを忘れられず、嵯峨野あたりに隠れ暮らしているんでないかい?と源の仲国はんという笛の名手を探しに行かせたんどす。

仲国はんは嵯峨へ来ていろいろと探し回るがまるであてがないんどす。

そこでこの芸達者はんは懐から笛を出して一曲奏でたんどす。

すると微かに風が吹き、笛の音が誘い水になって聞き覚えのある妙なる琴の音が返事のように帰ってくるではないどすか・・

 嵐山藪の茂りや風の筋 芭蕉

で、此の句というわけどす。

いま芭蕉はんを包むように吹いている心地よい風のなかに小督と仲国のセッションを感じ、芭蕉はんはそれを風流して楽しんでるっうわけなんどす。と余は思っている。

つづく

蛇足今様

嵐山茶屋の茂りや金の筋 半可ξ
(あらしやま ちゃやのしげりや かねのすじ) 

7月23日

嵯峨日記十九日 2

うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉
(うきふしや たけのことなる ひとのはて)

憂き節=哀しい調べ 憂き節=人生のマイナスのターニングポイント

竹藪から聞こえてくる琴の哀しい音色。
それにつられて仲国は竹の子ならぬだいじなお宝を発見! でもマイナスのターニングポイントっうもんもあって終には、藪の中で閉じる人生の運命だってある。

それじゃ竹藪のたけのこじゃん!と突っ込んでる句どすえ。 性懲りもなく?談林風どすな。

ところで仲国に発見された小督はんは、高倉天皇のカンバックコールで再び宮中に戻り、一女をもうけはりましたが、清盛はんにばれちゃって今度は無理遣り出家させられ尼さんにさせられちゃいましたんどす。

哀しいはなしどすなあ。

その後のことはよう存じませんが、小督はんのお墓はいまでも亀の尾にあるんどすえ。いまじゃ街中どすけどしるしの櫻は芭蕉はんの時代と同じように植えられておりますえ。

そうそう、芭蕉はん嵯峨日記で小督はんが最初に隠れ棲んだ場所を間違えて書いておるんどす。

「松尾の林の中に」って、ほんとは「亀尾」の間違いどすえ。


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芭蕉はんたら前に松尾大社のある松の尾里の話をしていたのでつい筆がすべったんどすかねえ。

芭蕉はんて、けっこうおっちょこちょいなところおわしはりますな。

でもおかしなもんで後のどなたはんもソンなことちいとも気にしてないことがまたよろしおすな。

さてさて、竹の子とあらば凡人は

本節や竹の子冥利土佐煮哉 半可ξ
(ほんぶしや たけのこみょうり とさにかな)

7月24日

花木槿裸童のかざし哉 芭蕉
はなむくげ はだかわらべの かざしかな)

延宝八年、芭蕉37歳の作。と。

支考編『東西夜話』では「裸子の木槿の花もちたる画の賛に」と詞書がついている。と。

芭蕉さんの怪しくよからぬ趣味が噂される元になる句の一つである。

余は芭蕉さんの怪しくよからぬ趣味や噂には全く興味はないが、芭蕉さんも疑われたくなければ、李下に冠を正さずでいて欲しかった。

さて、
健全派の余は怪獣たちを餌に怪獣たちをもてなそうと思っている。

以上

ハナタレの遊び疲れた昼寝哉 半可ξ
(はなたれの あそびつかれた ひるねかな)


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7月26日

先づ頼む椎の木も有り夏木立 芭蕉
(まずたのむ しいのきもあり なつこだち)

西行の山家集 下 雑の部

 ならび居て 友を離れぬ 子がらめの
 塒(ねぐら)に頼む 椎の下枝

に呼応している。と。

子がらめとは、小雀のこと。と。

ここ大津の幻住庵には大きな椎の木もあることだし、ひとつ夏バテぎみのおら達の塒にさせて戴こうかね。っうことだすな。

ほんに大きな樹の下は涼しいよね。

さて、隣町江別市はブランド小麦の産地。

もう二週間もすれば立秋だっうに、今頃麦秋の時期。


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開拓時代からの公園地にはカラスの巣があって、特にこの時期子離れ親離れで激しくうるさく怖ろしい。

先ず注意鴉の巣有り夏木立 半可ξ
(まずちゅうい からすのすあり なつこだち)

7月27日

涼しさや直に野松の枝の形 芭蕉
(すずしさや すぐにのまつの えだのなり)

元禄七年閏五月、故郷伊賀上野の酒屋の若き当主を訪ねての挨拶句だと。

芭蕉51才雪芝24才。

芭蕉せんせの来訪を記念して、松の若木を植えるセレモニーでもしたんだべか。とか。

芭蕉せんせは、若い野松がすーっと真っ直ぐ天に枝を伸ばしているその清々しさがいいずらと褒めている挨拶句などとの解釈が一般ではあるが、実は・・・・

老いの芭蕉としては、また何時ものなにか悪巧みを考えていることもありそうだぜと、半可ξは思うのだ。

老松(尾)は長年の経験や様々なテクニックや幅広い知識の集大成で、曲がりくねった趣のある侘び寂びた形をしておる。

一方、山から下ろしたてのこの若い野松には、真っ直ぐピーンと伸びた一本の純情さが目立ち、ただただ若さの美っうかセクシーっうかもんが際だってて、おっちゃんにはかえってそれが清々しく涼しげでゾクゾクしちゃうワサ。

おいおい!若い野松の雪芝ちゃんこっちへ来るかい。ひひひひひ。

かもしれないのだ。

たぶん!

幽霊の正体見たり枯れ尾花
(ゆうれいの しょうたいみたり かれおばな)

位の涼しさであればよろしいが・・・。

ま、そうではなくても、余はこの句は、技は拙いが若者として才能を素直に勢よく伸ばしなさいよという期待の現れの挨拶句だと思うのである。


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7月28日

苣はまだ青葉ながらに茄子汁 芭蕉
(ちさはまだ あおばながらに なすびじる)

元禄七年夏。 芭蕉一行は島田で川止めに遭った。塚本如舟に歓待されて三日間逗留した。と。

苣は「ちさ」
 ①たいまつ=炬
 ②野菜の一種 ちさ・ちしゃ・レタス
と辞書にはある。

それでか、この句の解釈に春の葉っぱ野菜の「ちさ」と、夏野菜の茄子のお汁でもてなされたとある。

川止めの長さを二つの季節もくらったぜと大げさにおどけぼやいているという趣向だ。というのだ。

それも面白い。

ところで、ちさ・ちしゃって野菜は焼き肉を巻いて喰らう「サンチェ」だそうだ。

へえーそんな昔からあったんだと思うのも勝手だが、余には「ちと」合点ができなんだ。

ようするに、余は「まだ青葉ながら」の「まだ」が気になった。

青い葉っぱは青いのが当たり前だから、「まだ」は変でしょって思って調べたら、「萵苣(ちしゃ)の木」という落葉小高木があることを知った。

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(by https://ja.wikipedia.org/wiki/エゴノキ)


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エゴノキ(Styrax japonica)とはエゴノキ科の落葉小高木である。北海道~九州・沖縄まで、日本全国の雑木林に多く見られる。
和名は、果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことに由来する[1]。
チシャノキ、チサノキなどとも呼ばれ歌舞伎の演題『伽羅先代萩』に登場するちさの木(萵苣の木)はこれである。
斉墩果と宛字するが、本来はオリーブの漢名。
ロクロギとも呼ばれる。

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どうだえぐいだろー。 ・・?

これなら「まだ青葉ながら」に合点がいく。

つまり、花は終わったが青葉ばかりで実はまだだ。すなわち春は終わったばかりだ。・・でも早々と旬の茄子の旨いお汁をご馳走になった。嬉しいおもてなしじゃん。というわけだ。

因みに萵苣の木(エゴノキ)の実はなんと茄子みたいな形だからまた驚く。

おまけに「ピースピースピース」と高くて柔らかな声で鳴くヤマガラの大好物だそうだ。申しわけ無いがnet仕入れの写真をてんぷしませう。


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さて、

えぐき実をはむ山雀の美声哉 半可ξ
(えぐきみを はむやまがらの びせいかな)

囂kamabisuan庵