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延宝八年作。
台風か低気圧か知りませんが、強い風がボロ家の壁を叩くんでしょうな。
昨晩、軒先で店を開いた蜘蛛も、この秋風を喰らっちゃって、もし鳴くとすれば、一体全体どんな音色の鳴き声だろかね?とか。
さてさて、
余「窓の外からドライヤーで熱風を当ててくるのは誰だ!」
某「台風10号崩れの温帯低気圧でーす。」
余「おいおい当地は アカン帯 ぞよ!」
温度何とセンサー壊るる秋の風 半可ξ
(おんどなんと せんさーこわるる あきのかぜ)
追伸:
この台風で被害に遭われた皆さまにお見舞い申しあげます。
初秋の清々しさが、実りの秋を期待させてよろしおま。
でも、栗の毬が茶色くなって落っこちてくるのは、秋もだいぶ深まってからだ。
さてさて、
台風10号が夜中に吠えて、暑かったさ。
朝6時でも、もわーっ。
30度近くはあったかも。
秋風の去れど蒸籠置き忘れ 半可ξ
(あきかぜの いぬれどせいろ おきわすれ)
それでも、昼ごろには、風も北寄りに変わり、人心地。
ヤマガラも、熱中症対策! 水分補給怠りなし。
延宝九年(天和元年)
愚に暗くは、愚かで思慮の足りないことだと。
なんとなく、自虐的で教訓的な談林風の俳諧だが、
この句を、
余が只今そこそこ夢中になっている事に、
当はめて理解すれば、
これまた、リアリティーがあって面白い。
七十もいいかげんにオーバーなジジイが、昨年からはじめたArduinoごっこは、意味もなく信号のミニチュアなど作っては「ご満悦」している。
もちろん、外にもある。
さてさて、この信号、赤の時は「こいのぼり」が鳴り、青のときは「春の小川」が鳴る。
ただそれだけだが、チマチマしたところを、目を細めても細めきれずに艱難辛苦の半田付けや、Arduino IDEのスケッチなどをいろいろ試すのがおもろいのだ。
しかし、時々、イヤイヤしょっちゅう、ジジイもイバラの棘を掴むのである。
まさに未熟なる故の、愚に暗くである。
そんなこんなで、過日は、マイコンの心臓たるマイコンチップをショートさせておシャカにした。
愚に暗くである。
写真①信号は、Arduino Nanoという出来合いのマイコンを使った。
これは写真②の隣の Arduino Unoと同じ能力で、キャパが少し小さいだけで優秀。
実はこのArduino Nano、なんちゃってArduino Nanoなのだが、過日ショートさせたマイコンチップより安く、一個250円。
だから、老人はこのところジジイの駄菓子屋たる電子部品屋にネット通販含めて月三位は通っていることになる。
もちろん手には1000円札一枚も握っておればいいんですわ。
愚にくらくとも部品を掴む蛍哉 半可ξ
(ぐにくらくとも ぶひんをつかむ ほたるかな)
蛍?
あたぼうよ!
どこ見て、いってんだ!
ここ!ここ!頭だよ!
延宝四年
お江戸に上がってから四年後の帰省。
ふる里の(”伊賀上野”)お山の中ので眺める月は、煌煌としていいわさ!
オラが今住んでる大都会の江戸でなんて、めったに見られない、いい月だわさ! と、故郷の月を誉めているとかいわれているが、
どっこい
芭蕉くん(この当時はまだ”桃青”)は、この句で、己の大都会お江戸生活者キャリアを、都会生活にあこがれる田舎の若者たちを前に、自慢しているんですな。
だって、この句を頂いた、田舎の若者たちにとっては、頭上の月は、いつも見ている月であって、見事でもへちまでも無くて、当たり前で珍しくも風流でもない普通の月なんですもん。
当然、田舎の若者たちは、比較対象の、不夜城の大都会お江戸なんて全くしらんのです。
でも、
埃だらけの空気や、喧騒煩雑いっぱいの賑やか振りのお江戸へのあこがれ感が、この句のベースにはあるんですな。
で、
この句、芭蕉くんがいっぱいお江戸の凄さワクワクさを、みんなに話してあげた後で、
でも俺・・やっぱ古里が一番だわ! って、
田舎の若者たちに、気を使って詠んであげたんだと思う。
さてさて、今から340年以上も前、
すでに、若者にとって、お江戸は、カオスの大都会として好奇と理想の地に思えたんでしょうな。
ところで、
月末から数日機会があるので、大都会TOKYOの月がビルに写る光景でも求めて彷徨ってみるか!
眺むるや鄙には希な谷の月 半可ξ
(ながむるや ひなにはまれな たにのつき)
と思ったら、そのあたりは新月で・・
「付きが無い」。