囂kamabisuan庵

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9月1日

果の朔日の朝から

節季候の来れば風雅も師走哉 芭蕉
(せきぞろの くればふうがも しはすかな)

元禄三年師走朔日の朝、今年も賑やかに節季候がやってきましただ。

ああだんだん師走ぽくなっていい感じだわさ。

果(か)は、行き着く、終わる、はてるで、年末のことだと。

節季候は、遊芸をして米や金銭を得ながら世間を渡る二、三人グループの門付け芸人。

さてさて、


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今日九月一日は、旧暦七月二十五日。月齢23.5。そんなことなどが書いてある来年の歳時記カレンダーが届いた。

定番の暦魁鬼笑う 半可ξ
(ていばんの こよみさきがけ おにわらう)

毎年兄が送ってくれるので、今年は、判じ物ふうの礼状を書いた。


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9月2日

元禄七年六月二十一日、大津木節庵にて

秋近き心の寄るや四畳半 芭蕉
(あきちかき こころのよるや よじょうはん)

脇は木節が
 しどろに伏せる撫子の露

気のおけない 木節・維然・支考等との、四畳半。

この句には、
 "大地には夜の雨がシトシトと降りそそぎ、室の中には、焼グリの香ばしい匂いがプンと漂っていた。"
の、石坂洋次郎の青い山脈の結びの一行が、季節はちょっと違うが、ぴったりな感じだなと、何故か思った。

さてさて、

お茶室の路地脇に置かれる関守石見立で、文鎮でも作ろうと、へそ結び を練習をする。

ちょいちょいちょいとやると、余の性格のように、ダラダラとした結びになってしまう。

キュッと締め上げるのが、以外と難しいことがわかった。

真面目にやることにした。

新涼や今年も一人四畳半 半可ξ>br> (しんりょうや ことしもひとり よじょうはん)


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9月3日

草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て、

明ぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
(あけぼのや しらうをしろきこと いっすん)

野ざらし紀行、桑名浜辺。貞享元年十一月。

初案 雪薄し白魚しろきこと一寸 を推敲して成ったとか。

白魚が波の引いた浜でピカピカの光りはねている。

その、生命感、一寸の魂、一寸の命への感動と賛美と言うことでしょう。

されば、やはり、雪薄しではありませんな。

さてさて、

余は、一昔前にPCラックをバラし、その天板利用のサイドテーブルを作り、絵を描くために使ってきた。


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絵を描くには、は少し前かがみの方が描きやすく、テーブルのトップを低めに床から50cmにしていた。

歳月がたち、余の老人度が二乗になってしまった昨今、作業時は良いが、作業後腰に疲労が残るような気がしてきた。

それで、サイドテーブルの脚を10cm、高く接ぎ足した。

使用した材木の値段が3割4割ぐらい高くなっていたのと、木の色の年月コントラストにびっくり。

まさに、白きこと三寸だった。

モノを描くには、多少近すぎるが、腰にはちょっと優しくなったような気がする。

しかし、

余の腰痛は、老人度が二乗ばかりではなく、

のんびりあちこち動き回ることも叶わぬ現状からの、”運動不足性筋肉劣化症候群”が原因で、コロナ対策の効果の良し悪しに正比例する『社会問題だっ!』と訴えたい気分でもあります。

堂々と、のんびりあちこち動き回ることができるようになれば、それが一番のお薬になること間違いなしだわなと、ぼんやり窓外の空を見る。

風の盆空青きこと三百里 半可ξ
(かぜのぼん そらあおきこと さんびゃくり)


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9月5日

庭訓の往来誰が文庫より今朝の春 芭蕉
(ていきんのおうらい たがぶんこより けさのはる)

延宝六年。

昔の『庭訓の往来』は、今の教科書。

昔の『文庫』は、今のランドセル。

文庫を包んだ風呂敷を抱えた子供達が、寺小屋に向かう新春の光景を見て一句!っうとこですか?ね。

さてさて、文庫といえば、

たまたま余の本棚の隅に新潮文庫・解説目録の1967年モノを見つけた。


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今は有料か廃刊になってしまったと思われるが、昔は、10円と言う価格表示はあるが、どこの本屋さんでも、只でもらえた。

パラパラ見てみると、

日本文学(小説)の先頭は、二葉亭四迷。そのカテゴリーのラストは北杜夫。

柴田錬三郎や松本清張たちの時代小説カテゴリーには、まだ、池波や藤沢の名前はない。

無論、司馬遼太郎もいない。

半世紀も 前のトレンド話・・失礼いたしました。

さてさてさて、

読書の秋でございます。

秋深しタップスワイプインソール 半可ξ
(あきふかし タップスワイプ インソール)

時代でございます。


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9月8日

恵比須講酢売に袴着せにけり 芭蕉
(えびすこう すうりにはかま きせにけり)

元禄六年十月二十日。

恵比須講は農作業も片付いた秋の終わりに行われる商売繁盛のお祭で、庶民は冬支度のショッピングに財布の紐を緩めたのだそうだ。

お酢屋のおっちゃんも身なり整えて気合を入れているとか。

北の地の大収穫祭とか大豊漁祭とかの原点であるとか。

さてさて、

ホントに小さい秋を見つけた。

袴着の祝ひせにけり櫟の実 半可ξ
(はかまぎの いわいせにけり くぬぎのみ)

まだ、身長8mmほど。


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9月11日

種(いろ)の浜

衣着て小貝拾はんいろの月 芭蕉
(ころもきて こがいひろわん いろのつき)

奥の細道 元禄二年八月十四日敦賀着。十五日雨。十六日色の浜観光。

敦賀色の浜で 西行の歌

 潮染むる ますほの小貝 ひろふとて
 色の浜とは いふにやあらむ

をなぞっての一句。

芭蕉が訪れている浜は「色の浜」。

それを、なぜ「種の浜」とあるのか?

『しゅじゅ→種々→いろいろ で 種は 「いろ」でいいじゃん』ということか?

さてさてさて、

秋の花といえばコスモスであるが、もちろんこれ 外来種。

コスモスはメキシコ原産で、航海時代にヨロッパに渡り、明治になって日本に来たとされている。

しかもなんと!! コスモスさんをお連れしたのは、明治九年に画学校の教師として招聘された、イタリア人彫刻家の、ヴィンチェンツォ・ラグーザ先生だということだ。

このラグーザ先生の奥さんになった人が、日本人海外女流洋画家第1号の清原玉さんだ。

画学校で油絵を学んだ五世田芳柳が後に描いた「ラグーザお玉像」が東京国立博物館にある。


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それがなんと!! 昔唐人お吉と紹介されていたモデル女性の「写真」の丸写し。

五世田さん、その辺の事情の説明を・・・

むかしこんなことを、余のHPに書いたっけ。

その時は、コスモスの種をラグーザ先生が持ち込んだなんて、知らなかった。

Grazie ヴィンチェンツォ・ラグーザ先生 である。

秋桜や曽祖父の秋吾の秋 半可ξ
(コスモスや そうそふのあき われのあき)


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