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節分の豆まきの句 6句
節分や親子の年の近うなる 明治25年
節分やよむたびちがふ豆の數 明治25年
にくらしき客に豆うつねらひ哉 明治25年
大津画の鬼に豆うつねらひ哉 明治26年
風吹て鬼迯げて行くけはひあり 明治26年
乾鮭の頭めでたし鬼退治 明治33年
節分の豆まきは、昔宮中で大晦日に行った「ついな 追儺」というのが、広まって変化し今日だそうだ。
追儺ついな 鬼やらい
悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事。平安時代,宮中において大晦日(おおみそか)に盛大に行われ,その後,諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり,日本へは文武天皇の頃に伝わったという。節分に除災招福のため豆を撒(ま)く行事は,追儺の変形したもの。鬼やらい。と。
爺い、初めて聞き知る。
鬼やらいびっくり仰天豆の数 半可ξ
銅像に集まる人や花の山 明治32年
上野恩賜公園の西郷隆盛像は、明治三十一年の12月18日に除幕式。
そんで、
明けて春の花見どき、銅像お目当てで花見にきた人がゴマンとか。
子規さんもミーハーしたのかどうかは、わかりません。
さてさて、さて、
さっぽろ雪まつりが、3年ぶりに復活。
ミーハー爺イは、当然出た。
半分が外国の方、その残りの半分が関西弁、そのまた残りの半分が関西以外の観光。最後にちょびっと地元民・・多分。
今年の大雪像はどれもがのっぺりとして気持ちが悪かった。
というのも、夜間の集客のプロジェクションマッピングを意識してのフラットスクリーン形状という中途半端さが災いしとるぜ。
ああ情けなや、多様化社会どころか没個性化社会作りがこの国には根深く蔓延してきてしまった。
まじ、とても暖かな日だったが、さみーーい心地がした。
それはそれとして、
大雪像の新庄監督は、外国の人には全く人気なく、小雪像の大谷翔平に彼ら彼女らが写メ写メ写メと群がっていた。
残念!ファイト!ファイターズ!!
昼は、まるきで炊き込みご飯とモリ一枚。
ナナメ向こうのカッコいい外人夫婦は天ぷらそばをたのんでいた。
結局、一番印象に残った雪像は、未就学くらいの子供たちが、父ちゃん母ちゃんと一緒に作っていた雪だるまたちだった。
冬枯や熊祭る子の蝦夷錦 明治31年
この句の翌年、明治三十二年「北海道旧土人保護法」が制定された。
子規が北海道を旅したことはない。
アイヌの民の狩猟漁労を制限する法律の成立に、子規は、抗議の心を込めてこの句を詠んだのではないかと、爺イは思います。
子規さん danke!
雪像に集まる人や多国籍 半可ξ
ストーヴ という文字ことばが入る 2句
ストーヴに濡れたる靴の裏をあぶる 明治30年
ストーヴにほとりして置く福壽草 明治34年
あまり使ったことがない言葉。
「熱る」と書いて「ほとる」。
「ほとりして置く」の意味は、暖かくなるように置いて、早く咲け咲け福寿草ってところでしょう。
さてさて、さて、
子規さんが使ったストーヴの燃料は、薪か石炭か瓦斯か電気かは知らぬが、ジジイの使っているストーブの燃料はガスだ。
忌まわしい戦争のせいで、ガス代もすごく高くなってしまった。
そんで、小さいサーキュレーターを作って、ちょっとでもガス代を浮かすことにした。
ジジイの遊び部屋の丑寅の角に件のストーブはある。
ストーブの上には遊び道具を収納する棚があり、ストーブはその下の空間に鎮座している。
収まりは良いのだが、部屋の空気が循環しにくく、黙っていると、ストーブ君は気前よく勝手にジャンジャか燃えてくれる。
結果、それほど広くない部屋は、すぐ暖かくなるのだが、彼のストーブの周りだけはその恩恵にあずかりにくく、己の持っている設定温度機能をタイミングよく発揮することができないのだ。
で、ジジイは、
熱くなれば設定温度を下げるためにストーブまで歩き、寒くなれば設定温度を上げるためにまた歩くとなって煩わしい。
そんで、
自動式小さいサーキュレーターを、作った。
温度センサーが23度を超えたら、マイコン(Arduino)がファンを回し、ストーブの置いてある空間に風を送るという仕組みだ。
これで、
ストーブの設定温度は18度で、
ジジイの遊び部屋は、ほぼ20度程にキープされるようになった。
ジジイが立ち上がるのは、
ションベンに行く時とメシを食いに行く時だけとなった。
めでたしめでたし。
ストーブに説いて聞かせるダイエット 半可ξ