囂kamabisuan庵

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5月1日

今日も子規の句

春野 という文字ことばが入る 19句

春の野や霞の中に水の音 明治23年
春の野や小川の音もたゞならず 明治23年
画をかいて人に見せたし春の野辺 明治23年
春の野やしはし預る蝶の留守 明治24年
たんほゝをちらしに青む春野哉 明治25年
春の野に女見返る女かな 明治25年
野は春となりけり馬の笑ひ声 明治26年
春の野にうちいでゝ見たる女哉 明治26年
春の野や牛と馬との道二つ 明治26年
春の野に丸く広がる霞哉 明治27年
春の野に都見かへる女かな 明治27年
春の野や何に人行き人帰る 明治27年
女つれて春の野ありき日は暮ぬ 明治27年
三味線を掛けたる春の野茶屋哉 明治29年
春の野の人なつかしみ嵯峨御室 明治29年
春の野や旅人何にくたびれる 明治29年
春野より帰れば地蔵せしといふ 明治29年
小春野や草花痩せて晝の月 明治29年
春の野や女四五人弁当持 明治35年

若く元気な頃はやたらと明るい句が多い。

が、

明治28年夏、半島からの帰路喀血し神戸病院に入院以後、春野の明るさも少しずつ変化する。

さてさて、さて、先日、

まだ!まだ!元気な爺ちゃんは・・

春野をチャリでぶっ飛ばし、農家のお嬢?たちが ”ふっるーい”古民家でやっているお蕎麦屋さんに行ってきた。

目的は、毎年楽しみにしている「栽培山菜」の天ぷらを食するためだったが、まだないと言う。

なにせ今年の春とオイラの到来が早すぎたと言うことらしい。

ピンチヒッターは、太いが柔らかいゴボウと人参の田舎流かき揚げ。

あと半月ほど経ったらまた来よ。

足元に、片栗とイフェイオン(和名ハナニラ)のおで迎えがうれし。

5月9日

今日も子規の句

終り という文字ことばが入る 5句

花鯛の終り処や春の山 明治26年
螳螂や油取らるゝ身の終り 明治29年
檄を艸し終りて月の江に嘯く 明治30年
夕榮や晝の花火の打終り 明治31年
月曇る觀月會の終り哉 明治31年

さてさて、さて、

連休明けて、2類相当から、5類感染症に格下げをくらった、新型コロナウイルス。

扱いとして、

感染力・重篤度・危険性が高く、(医療機関から国へ)早急な届出が必要になる感染症。

から、

国家が、感染症発生動向の調査を行い、国民・医療関係者・医療機関に必要な情報を提供・公開し、発生及び蔓延や伝染を防止する必要がある感染症。

となった。

で、5月8日の届出で全数報告は終わり、これからは、国が適当に感染拡大防止の立場から医療機関等への情報公開や注意喚起を行う、インフルエンザ並みの感染症となるわけだ。

情報公開というレベルでは、いわば、野球中継の途中で放送が打ち切られ、「結果はニュースで・・」みたいなこと。

この感染症の治療薬は超高価で罹患したら運の悪い人は地獄を見る前に地獄ということになるとか。

いま第9波の兆候が見える中、しばらく情報は公開されないので、諸兄諸姉にはくれぐれもご油断めさるなと願っております。

オイラのHPでの covid-19グラフは、奇しくも一年目の最高数値と三年目・昨年の最低数値とほとんど同じという象徴的な数字で、1209日目をもって終わる。

HP covid-19グラフ

5月18日

今日も子規の句

洋 という文字が入る 24句から

「太平洋」という文字が入る句を除いた 18句

洋本の間にはさむ桜かな 明治25年

洋服の背中に蚤のいたき哉 明治25年

洋人の手を引て行く茂り哉 明治25年

袖なくてうき洋服の踊り哉 明治25年

洋服の足よりひゆる寒さ哉 明治25年

洋犬の耳を垂れたるあつさ哉 明治26年

三年の洋服ぬぎし寒さ哉 明治26年

西洋の草花赤し明屋敷 明治27年

村医者の洋服着たる暑哉 明治28年

村医者の洋服着たる土用哉 明治28年

洋人や椅子に舁かれて夏の山 明治29年

虫干や洋書の間の枯桜 明治31年

試驗所に西洋種の西瓜哉 明治31年

西洋の花に蜂去り蜂来る 明治32年

避暑に来る西洋人の夫婦哉 明治32年

西洋の田舍に似たり葡萄園 明治32年

西洋の花を植けり春の園 明治33年

村落に洋館ありて棕櫚の花 明治34年

さてさて、さて

当地では昨日からライラック祭りが始まった。

足早に春が過ぎ夏が来て、主役の400本もある大通り公園のライラックはすでに満開の盛りを終え、皮肉にも、人々の関心はもはや、肉だ魚介だ野菜だの北のグルメの妖艶な色香にすっかり心を奪われておりました。

で、このライラック、

明治13年、宣教師として来日し、東京・函館をへて、明治19年北海道尋常師範学校開設に伴いお雇い外国人として英語教師となり、並行して、明治20年 私財を投じ、北海道札幌にスミス女学校(北星学園女子中学高等学校)を開校した、たサラ・クララ・スミスさんが、明治21年1889年に帰国し、ライラックの苗を札幌に持ち帰ったのがはじめとか。

現在、北星学園の記念館となっている旧住居の前庭にあるライラックが、札幌のライラックのルーツの樹であるかは確かではないが、立派。(記念館の画像はHPから)

そして、66年後、昭和30年1955年 吉井勇

 家ごとにリラの花咲き札幌の
 人は美しく生きてあるらし

そしてそして、134年後、半可ξ

 西洋のリラより旨し屋台小屋 令和5年

嗚呼あ・・・

囂kamabisuan庵