囂kamabisuan庵

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9月9日

今日も子規の句

初暦 という文字ことばが入る 15句

明治25年
初暦めでたくこゝに古暦

明治26年
君か代や二十六度の初暦

明治27年
初暦日曜の日をしらべける
初暦花時鳥月時雨
人の手にはや古りそめぬ初暦

明治32年
今年は青き標紙や初暦
神宮の判すわりけり初暦
新宅に掛くる釘なし初暦
初暦一枚あけてなかめけり
初暦今年も人にもらひけり
初暦五月の中に死ぬ日あり
早ぐりの年數表や初暦

明治33年
初暦今年は遅き初卯哉
初暦鼠の尿によごれけり
灰の中に落てよこれぬ初暦

初暦は新年の暦ということで新年の季語であるが、来年の暦を初めて手にする時もそれには含まれているらしい。

さてさて、

近頃は随分と気が早いもので、秋分も来ぬうちに新暦が届く。

毎度毎度アニキが送ってくれる。

判じ絵風のお礼ハガキも恒例行事化してしまった。

初暦日なかは摂氏三十度 半可ξ

やっと 暑さ も おさ まり
秋 らしく なりま した
こと しも 歳時記カレンダー おおくり いただき
ありが とう ござ い ます
た つる

9月16日

今日も子規の句

蕎 という文字ことばが入る 42句

明治25年
 花蕎麥の下までとゞく夕日哉
 花蕎麥や山の腹までくる夕日
 冨士隱す山のうらてや蕎麥の花

明治26年
 蕎麥の花やもめの畑はあれにけり
 灯ちらちら村暮れかねつ蕎麥の花

明治27年
 十月の畠に赤し蕎麥の莖
 鵙鳴くや小藪の中の蕎麥畑
 鵙鳴くや藪のうしろの蕎麥畠
 絶壁は蕎黍に盡きたり稻の花
 蕎麥植ゑて人住みけるよ藪の中
 墓原のつゞきや寺の蕎麥畠
 踏まれたが損か彼岸の蕎麥畠
 花蕎麥や湖水小さく舟細し
 信州の寒さを思ふ蕎麥湯哉

明治28年
○立ち出でゝ蕎麦屋の門の朧月
○蕎麥はあれど夜寒の饂飩きこしめせ
 柿に照り蕎麥に雨ふる畑哉
 山本や雲もかゝらず蕎麥の莖
 砂土手や西日をうけて蕎麥の花
 蕎麥の花野川の音に暮れにけり
 蕎麥の花野川の音はくれにけり
 山明けぬあれは花蕎麥これは雲
 山本やうしろ上りに蕎麥の花
 山本や雲もかゝらず蕎麥の花
 山本や日落ちて見ゆるそばの花
 蕎麥の雪棉の霰はまばらなり

明治29年
○酒のあらたならんよりは蕎麥のあらたなれ
 なだらなる岡の片側蕎麥の花
 箱根越えて三嶋近く蕎麥の花暮るゝ

明治30年
 蕎麥白く柿の紅葉に夕榮す
 汽車道のあらはに蕎麥の莖赤し
 岡ぞひの蕎麦まだ刈らぬ落葉哉

明治31年
○町暑し蕎麦屋下宿屋君か家
○掏られけり大つごもりの蕎麥の錢
○蕎麥屋出て永阪上る寒さ哉
   永阪:麻布永坂町の更科か
○宿替の蕎麥を貰ふや冬籠

明治32年
 煙草干す家も見えけり蕎麥の花
 花蕎麥に大砲の鳴る曇哉
 藪蕎麥に菊の膾はなかりけり
   薮蕎麦:神田やぶそばをかけてか
 溝蕎麥に野菊乏しき川へ哉
   溝蕎麥:日本各地に分布するタデ科の一年草

明治33年
 山越えて三島に近し蕎麥の花

明治35年
○ウレシキカナト蕎麥フルマヒヌ店卸

ほとんどが蕎麦畑の風景で、食べる系の蕎麦は○印の七、八句。

ちなみに、饂飩検索では一句、鰻でも五句。

でも、

さすがミカン関係は五十二句。

そのほとんどが風景よりも食味風景の句。

無論、柿ともなるとなんと百六十三句と桁違い。

 カブリツク熟柿ヤ髯ヲ汚シケリ 明治34年

さて、さて、さて、

ようやく熱波地獄もおさまり、一気に秋の気配の北の果ての地でござる。

となると、チャリ・ブンブンでグレまくる後期高齢者となるわけで、多少ヒーハー言いながら街々を徘徊するわけです。

午は大抵蕎麦屋。で、それも手打ちでなければいけません。

そんなかんなで、昨日は余の当地蕎麦屋番付で横綱のお店に久しぶりたどり着く。

エアコンの風ではなく、窓からの涼しい風にホッとしながら、いつもの小豚丼セット、お蕎麦を板もりに変え1400円。

まだ新蕎麦の時期ではないけど、とても蕎麦の味がいい感じで、嗚呼これが秋なんだと「空気」を感じたひとときでした。

 永坂も神田も超えて蝦夷の蕎麦 半可ξ

9月23日

今日も子規の句

芒(ススキ)という文字ことばが入る 107句から、萩と絡む21句

明治24年
行きくれてふりむくかほや萩芒

明治28年
古簑や芒の小雨萩の露
捨笠や芒の小雨萩の露
初冬の萩も芒もたばねけり

明治29年
萩が根も芒かもとも虫の聲
萩芒風絶ゆることもなかりけり
萩芒萩は芒に押されけり
萩芒われに落馬の心あり
萩は月に芒は風になる夕
誰が家ぞ霜に折れたる萩芒
萩も菊も芒も枯れて松三本

明治30年
水無月や萩も芒も風の草
芒伏し萩折れ野分晴れにけり
萩芒今年は見たり來年は
萩芒來年逢んさりながら

明治31年
萩刈りて芒に秋の夕哉
朝飯や日のあたりたる萩芒
萩芒水汲みに行く道一つ
萩刈りて芒淋しき小庭哉
萩刈りし庭のかなたや枯芒

明治33年
土饅頭萩も芒もなかりけり

子規さんの時代の秋の原っぱは、ススキとハギが拮抗して勢力争いをしていた。

現在の秋の原っぱは、20世紀の初めにアメリカから鑑賞花として輸入されたゴールデンロードが、萩に代わり、ススキと天下分け目の戦いをしている。

ゴールデンロードは背高泡立草の名でお馴染み。

「代萩」とも呼ばれ、建具や簾などの建材として、まさに名実ともに萩の代わりに使用されているという。

その背高泡立草も、花としてもさほど魅力的でもないことからもあってか、最近では駆除対象外来種としてその立場が危うくなってきたそうだ。

人間なんて実に勝手なものだとつくづく思う秋である。

青天揺るるセイタカアワタチソウ 半可ξ

9月24日

今日も子規の句

聞ゆ(他動詞ヤ行下二段活用の終止連体) という文字ことばが入る 21句

 明治25
 月澄て空に聞ゆるをしかゝな

 明治26
 春菊や豆腐屋の声聞ゆ也

 明治27
 春の夜の小唄聞ゆる長局
 獸の鼾聞ゆる朝寒ミ

 明治28
 夕月や砧聞ゆる城の内
 遣羽子の笑ひ聞ゆる小道かな

 明治29
 辻堂に鼾聞ゆる蚊遣かな
 薔薇深くぴあの聞ゆる薄月夜
 墓原や月に詩うたふ聲聞ゆ
 兩國の花火聞ゆる月夜かな

 明治30
 植半の鼓聞ゆる桜かな
 球燈高く音楽聞ゆる桜哉
 夕涼小供花火の聞ゆなる
 吉原の太鼓聞ゆる夜寒哉
 唱歌聞ゆ天長節の朝日哉
 夕飯や花火聞ゆる川開
 萬歳の鼓聞ゆる朝日かな

 明治31
 時鳥しはぶき聞ゆ堂の隅
 調練の大鼓聞ゆる稍寒み
 汽車の音の近く聞ゆる夜寒哉

 明治34
 雪車歌の聞ゆる谷や雪車見ゆる

聞こえてくる音には当然方向があり、人はそれらを聞き分け、スルーしたり感じたりしている。

俳句を読んで情景を想像するのに音の方向はとても大事な要素となっていますな。

ところで、

突然ですが、 先日ダイソーのブルートウースイヤホンがバカ人気ということで、買った。

今更別にワイヤレスでなくてもいいのだが、5000円以上するものが1100円で買えちゃうとかで、「・・・・人」としては試したくなった。

それで余の机上に、遮光器土偶の頭部が置いてあるわけだ。

感想として思ったのは、極めて情緒的かつ非科学的なことだった。

コードイヤホンに比べ、ブルートウースイヤホンの音は、「より頭の真ん中」から聞こえてくる感じがするということだ。

これにより、コードイヤホンの線一本という「象徴」が、ほんの微かな音の方向性を脳裏にあって密かに作っていたのだということに気づいたのだ。

そうかそうか、そうか、

近頃、昔のオーディオ機器が人気で、何年前のアンプやターンテーブルが高値で取引されると聞いたが、これはヘッドホンやイヤホンで音を聞くことに違和感を感ずる人が増えてきたということだと思う。

とにかく、音には音の方向性が大事なのだ。

いわば、これ、脳天中央音源帝国からの、人民の離脱解放を意味しているわけだ。

音は、耳の外耳から内耳に取り込み、脳に響かせよという、人本来の視聴の仕組みの、聴担当「耳族」さんのルネッサンス(ふるっ)ってことだな。

それはそれとして、ブルートウースイヤホンは便利だ。

秋冷や深夜ラジオはバカ騒ぎ 半可ξ

囂kamabisuan庵