囂kamabisuan庵

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3月10日

あやめ生ひけり軒の鰯のされかうべ 芭蕉
(あやめおいけり のきのいわしの されこうべ)

菖蒲と蓬の束じゃなくて軒先に・・??どして?

この句は、延宝六年「スイカの実の熟する時」に刊行された岡村不卜編の「江戸広小路」にある。

発句の時季はすでに、二月の節分からほぼ三四ヶ月経っている。

しかし、初夏だ!ちゅうにどこか不吉なこの句のトーン。

一体全体この年の春、江戸でどんな事件が起きていたのかが気になって、調べてみた。

やはりである。

前年の延宝五年十月(1677/11/4)に、房総沖を震源とするM8超の大地震が有り、太平洋岸の村々は大津波に襲われ、五百とも六百とも言われる死者を出していた。

人心が、不安と恐怖で疑心暗鬼に陥り、明けての春は落ち着かない春であったと推測される。

そんなこともあり、延宝六年春の大江戸の治安も暮らしも安定せず、一月早々には、たとえ失火であっても厳しく、失火罪は、失火者は斬罪、名主や五人組は入牢罪と定められた。

まさに、時の政府が発した緊急事態法がこれである。

八月には、金持ちが能天気に無制限にはべらせた、茶店の給仕女も二名までと定められた。

それから二年後将軍がある意味賢帝の五代綱吉に変わり、時代は徐々に変化していく。


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さてさて、今年。

菖蒲の頃、日本は一体どうなっていますでしょうか?

そしてそして秋、来年、再来年・・・

桐一葉民主憲法髑髏 半可ξ
(きりひとは みんしゅけんぽう されこうべ)

こんなこと許せません。

そのために今が大事。


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西暦2020年の春の「新型コロナウイルスの流行」なれば記す。

3月27日

蛍火の昼は消えつつ柱かな 芭蕉
(ほたるびの ひるはきえつつ はしらかな)

元禄二年五月。 奥の細道旅中、平泉中尊寺金色堂にて。と。

奥の細道の中尊寺は

五月雨の降り残してや光堂 芭蕉
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)

五月雨が心情的心の中の華やかな光堂の風景を詠っているのに対し、蛍火は逆に、現実的光堂の風雪に曝され傷んできたその真の姿を伝えている。

五月雨と蛍火の二句を並べて読むと、どちらも、消えつつある栄光の記憶に対する芭蕉の深い深い溜息の二対句であると思える。

さてさて、

禁足令が未だ解けぬ昨今、することもなく、お上の無能ぶりにも呆れ果て、ぼーっとしていたらこのまま死にそうだから、電子工作やデータベースのお勉強と実践をしている。

そんなこんなにそれほど関係はないが、使えなくなった乾電池がえらく増えてきた。

モーターは動かせないが時計は動かせる。時計も動かせなくなったから、いつもはガラガラポンと捨てるのだが、計測してみるとまだ微少量の電気が残っている。

よーしと4ホン箱に単三、パイプに単四、ピッタリ収めてLEDを灯して見た。

円筒はもう1週間昼夜点きっぱなしで全然変わらない。

ただし最初に付けた青色LEDは消費家で数分も点き続けられなかった。

即緑に代えて今のところ1週間頑張っている。

最後は赤のLEDに代えて点かなくなったらガラガラポンだ。

こうして我が使い切り電池くんたちは、新型コロナウイルスの感染収束と競争をしている。

LED煌々 春眠の吾 半可ξ
(エルイーディーこうこう しゅんみんのあ)


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3月28日

京に飽きてこの木枯や冬住ひ 芭蕉
(きょうにあきて このこがらしや ふゆずまい)

元禄四年十月末。奥の細道旅で江戸を離れて二年ぶりの江戸下がりの途中、三河国新城のお金持ち菅沼耕月亭に招かれての発句。

もうおいら花の京都で遊びほうけてもうすっからかん!しばらくお江戸に戻って地味にシコシコやりますわ!

若干ピノキオ的なおっちゃんぶりも感じてしまうが、まあいいじゃん。

人には必ずある、自信過剰気味自己完結の人生のピーク時だ。

さてさて

北海道はピークをどうやらうまくコントロールしたみたいだ。

今日の新聞には5,500億円の経済マイナスとかあるが、何千人の弔いをくい止めているところに意味がある。

列島で先んじで感染拡大した北海道ですら、よくて来月後半の収束です。

本州の皆さん、病気感染に対する防御自信過剰なんて全く意味ない妄想です。

うつらない! うつさない!

これしかありません。

我慢我慢。

コロナに飽きてなほ無花の週末 半可ξ
(コロナにあきて なお むかのしゅうまつ)


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