囂kamabisuan庵

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6月1日

ほととぎす鳴くや五尺の菖草 芭蕉
(ほととぎす なくやごしゃくの あやめぐさ)

元禄五年六月中旬。

奥州行脚から戻った支考が、自著俳論作法集『葛の松原』の取材?中の折に得た発句だとか。

『古今集』三百六十首ある恋歌の先頭の「郭公(ほととぎす) 鳴くや五月の あやめ草 あやめも知らぬ 恋もするかな」(詠み人知らず)を、 芭蕉大先生堂々の五月を五尺に変えただけ。

俳論作法集『葛の松原』によると、

芭蕉ファンの三上和及という人が、芭蕉さんの作り上げた俳諧の世界は、西行さんみたいに全国走り回ってゲットした芭蕉先生の大功績!!と言っていたが、実際は、時間はかかるし辛い辛い。優雅なんて程遠いものなんだぜ、 菖蒲だって、首を長くして待ってるうちに、五尺も長くなっちゃった。って

よくわかんないけど、言いたいらしい。

さて、さて、

5尺! 153センチ。

どこかで、龍馬と中岡慎太郎は凸凹コンビみたいなこと見た。

で、ぽちぽちすると龍馬173センチ。

確かに20センチも違う。

とはいえ、幕末期の男性の平均は154センチとかで、慎太郎さんが特別チビだったわけじゃないとかも書いてあった。

早速、

中岡慎太郎の有名な写真を使って検証してみた。

写真師は大坂屋という屋号の堀与兵衛。

幕末期祇園に出店を出しとても売れていた。

祇園に遊びに来た全国のお侍さんたちに、OSY48のメンバーとの祇園遊び記念ショットサービス?で大儲け。

今回はそのOSY48のメンバーの一人の写真と、慎太郎さんを合成してみた。

市松模様の敷物の、柄サイズを合わせて重ねた。

あらら。
あれ!
やっぱ『チイちゃいおじさん』だった。

それとも、OSY48のメンバーさんが和田アキ子?

まあどうでもいい、いい加減な実験でしたが、古写真って何かがちょこっとわかる面白さもあるんで、たまらんです。

ほととぎす鳴くや五色の菖草 半可ξ
(ほととぎす なくやごしきの あやめぐさ)

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追伸:中岡さんの写真は彼の右にいる人が、削られているのだが、削られる前はこんな写真だったかも。

この辺の事情については、
余はすでに一般説を映像化したが、

これに、チイちゃいおじさんが普通の女の子にどつかれる大小ギャップがカッコ悪くて削った可能性も加えたくなった。


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6月13日

紫陽花や薮を小庭の別座舗 芭蕉
(あじさいや やぶをこにわの べつざしき)

元禄七年五月上旬。

西上の旅を前にして、弟子にして謎の小金持ち子珊(しさん)の深川別座敷で開かれた送別歌仙の際、 お庭の雰囲気も質素で嫌味なくギンギラギンでないとこが趣あってよござんすねえと、ご挨拶の発句。

子珊は、この時の歌仙を目玉に編んだ小冊『別座敷』のイントロで、芭蕉が述べた句作りの考え方を記している。

翁『今思ふ体は、浅き砂川を見るごとく、句の形、付心ともに軽きなり。其の所に至りて意味あり。』と侍る。

多分、奇を衒わず、さらりと伸びやかに穏やかに軽やかな感じ。つまり、自然体が最高!ってか?

さてさて、我が出窓小庭の早月(サツキ)は、思いがけなく、12個もの全ての蕾を「さらりと伸びやかに穏やかに軽やかに』みな開かせて最終章に突入中。

昨年のたった一輪とは雲泥の差。

よし!これで、コロナ騒動も早月もフィナーレ。

十二輪咲きてフィナーレ早月歌舞 半可ξ
(じゅうにりん さきてふぃなーれ さつきしょー)


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6月26日

瓢竹庵に膝を入れて、
旅の思ひ いと安かりければ

花を宿に始め終りや二十日ほど 芭蕉
(はなをやどに はじめおわりや はつかほど)

桜の咲き初めから終りまで20日ばかりをこの宿で過ごしちゃったぜ。
ありがとさん。

元禄元年。『笈の小文』の途中、春を伊賀上野を中心に日を送った。

句は伊賀上野の門人岡本苔蘇(たいそ)正次宅にて。

平安後期の歌人藤原忠通の『詞花集』

咲きしより散りはつるまで見しほどに
花のもとにぞ廿日経にける

を引用とのこと。

さてさて、

家篭りうがい手洗いするほどに
コロナのもとにぞ四っ月経にける

夏至も過ぎ、いよいよ暑い夜の季節へだが、この数日間はとても涼しい。

しかし、一向に晴れ晴れしない。

こころも日々も。

皐月一輪始め終わりや一ヶ月 半可ξ
(さつきいちりん はじめおわりや いっかげつ)

今年は盆栽仕立ての皐月がたくさん花を咲かせてくれた。
これは、感謝だな。ありがとさん。


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6月29日

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り 芭蕉
(はるさめや はちのすつたう やねのもり)

元禄七年、51歳。深川の芭蕉庵での作。と。

新古今和歌集大僧正行慶の歌

 つくづくと春のながめの寂しきは
 しのぶにつたふ軒の玉水

ごちですという趣向です。

さてさて、毎日がどんよりパラパラのこの頃です。

雨水が「つたう」ほどの降りではなく、さりとて傘がいるほどでもない。

チャリ出もコロナとかもあり、ままならず、テレビもつまらなく、ぼんやりと古写真などwebで見たりの時間つぶし。

救いは、プロ野球が始まったことかな。

蝦夷梅雨や瑠璃戸つたう覇気薄き 半可ξ
(えぞつゆや がらすどつたう はきうすき)

そんなこんな、

函館市の中央図書館のデジタルアーカイブを久しぶりに覗いたら、今まで気がつかなかったのか新加入かはわからぬが、明治9年の市街地のパノラマ写真があるではないか。

しかも撮影場所は、函館の写真師のお父っあんの写場のベランダときたもんだ。

当時函館を襲う災害は、コロナならぬ「大火事」。

それが年中行事みたいなもので、このパノラマ写真に写る街並みも、どこもかしこも新築のように見える。

素晴らしいバイタリテーをこの写真から感じてほしいね。

それにしても、蔵以外は全部板屋根で、小石がわんさか乗っかっている。

屋根の傾斜は意外にゆるく、これじゃ雪は積もり放題と心配になる。

暇だし、パノラマ感を、どんなんかなと、無許可は心苦しいがプレミア動画にしてみた。お暇なら見てね。


明治9年の函館市街地のパノラマ動画

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ご本家のurl
http://archives.c.fun.ac.jp/…/thumbnailChild/photos/ph002001

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