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寛文六年。芭蕉センセ若い時の句。
火野正平のチャリンコ旅の京都編が始まるようだが、さくらさくらの春旅は長閑かさ増して気分がよろし。
わが地の春は未だソローリソローリ。
今日は九万九千くんじゅの蕾かな 半可ξ
(きょうは くまんくせんくんじゅの つぼみかな)
くんじゅというのは人の集まりを言う謡曲の言い回しとか。
笈の小文の旅中、貞享五年三月 伊賀の山家にありてと
余が棲むところの時期は今ちょうどこんな句のかんじ。
もうストーブもほぼいらぬ。
ところで 笈の小文の「笈」って何。
笈=おい(おひ)。おいばこ。本箱。書物などを入れて背に負う、竹を編んで作った箱。
= にぐら。荷物を背負わせるために馬の背に置く器具。
つまり昔のランドセルみたいなものだ。
笈という字は 竹+及 だが 意味的には 竹+負 だ。
負という字は (人)+貝 ということで、人が財貨を背後の力にするとの象形文字だそうで、あまりイメージがよろしくなく、音が同じで「及」にしたのだろうかね。
さてさて、
昨日の新聞にこのような漢字の編と作りを組み合わせるクイズがあったのでやってみたら、悔しいかな・・いくつかすぐには答えがわからない。
だいたい「い〇〇く」なんて読んだことはあるかもしれぬが、書いたことは一度もない。
でも改めて余の問題は、老人性のボケじゃなく、ハナからの無教養のざまであったと実感。
もう遅いわ!
ナンマイダー チーン!
朝寝ボケ脳巡る血の一二滴 半可ξ
(あさねぼけ のうめぐるちの いちにてき)
延宝五年。
三十代半ば、小石川の上水道工事の現場監督のバイト?時期の句。
一時雨が石つぶてのように激しく降って・・小石だらけの川になっちまって・・そんで、「小石川」だっててさ! なんちゃって。とか。
句調は当時流行りの談林風言葉遊び。
さてさて、
北の地にも春がやってきて、チャリンコに乗っても、もう、寒くなくなった。
でも、厚別川堤防のチャリンコハイウエーは、冬季の雪捨て場の融雪が進まず、所々が通行不能だ。
今一生懸命にブルたちが雪山を崩し崩して川に流している。
厚雪をブル押し別けて厚別川 半可ξ
(あつゆきを ブルおしわけて あつべつがわ)
風の香も南に近し最上川 芭蕉
(かぜのかも みなみにちかし もがみがわ)
奥の細道元禄二年六月二日。
新庄の豪商、澁谷九郎兵衛宅にての、ご挨拶句と。
旧暦の六月といえば夏もそろそろド暑くなる時期。
唐の文宗皇帝の起承の詩
人皆苦炎熱(人は皆炎熱に苦しむも)
我愛夏日長(我れは夏日の長きを愛す)
これに、柳公権のつけた転結
薫風自南来(薫風南より来たり)
殿閣生微涼(殿閣微涼を生ず)
が評判になった。
が、この漢詩について、のちに蘇東坡が、これには残念ながら為政者として庶民への思いやりがない。そんな皇帝さんたちの贅沢な暮らしは、灼熱地獄の庶民の住宅事情の暮らしとえらくギャップがありまっせ。庶民の暮らしを他人事にして、なんてノーテンキなことよ、と批判したことからさらに有名になったんだとか。
この 薫風自南来 くんぷうみなみよりきたる
が芭蕉さんの句の本歌だという。
するてーと、芭蕉さん、地方の大豪商の桁違いの暮らしぶりを暗にチクリとやってるんでしょうかね。
それだったら、うふふだわさ。
さてさて、
当地のサクラもあちこちで開花のようでワクワクだが、余の住む地域は二、三歩遅れてまだまだ。
一番南の日当たりのいいサクラで明日明後日!?
ほころびも南に近しサクラかな 半可ξ
(ほころびも みなみにちかし さくらかな)