囂kamabisuan庵

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2月1日

前詞:憂方知酒聖 貧始覚錢神
(憂いてはまさに酒の聖を知り、貧してははじめて銭の神を覚る)

花にうき世我が酒白く飯黒し 芭蕉
(はなにうきよ わがさけしろく めしくろし)

40才。ヤケ安酒と粗末飯の今の”経済”状態を嘆き、浮かれた世間を僻んでみせる。

酒に「聖」と「賢」がある。前者が清酒で後者は濁酒どぶろく。
前詞の酒の聖は「清酒」のこと。句中の「白い酒」は「どぶろく」のことつまり「聖」でなく「賢」。

憂き世は近世以前は、辛いもの専門だが、このころにその反対の浮かれ浮き世的な使われ方もでてきたそうだ。

昨年の江戸大火で芭蕉庵消失で今貧乏。
火事前だったら「清酒」を「二の膳三の膳」を「じゃんじゃん持ってこい」だったのに、いまじゃーちょっと置いていかれ気味ってことか。

昔はそれなりにならしたとかっこ付けてるのだろうね。たぶん。

この句の跡に弟子の喜捨でお家は再建される。
句の成立背景と共に芭蕉の心理状態を推理するもたのし。

お七火事ばせを聖賢交代す 半可ξ
(おしちかじ ばしょうせいけん こうたいす)


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2月2日

詞書: 富家喰肌肉 丈夫喫菜根 予乏し
ふかは きにくをくらひ じょうふは さいこんをきっす よはとぼし

雪の朝独り干鮭を噛み得タリ
(ゆきのあした ひとりからざけを かみえたり)

延宝八年37歳。深川芭蕉庵にての桃青時代の作だ。
当時は僅かながら早稲田関口の水道土木工事の監督で糊口を凌いでいたようだ。

ともあれ自虐的に、貧乏貧乏と言っては、弟子達にプレッシャーをかけていたわけではないだろうが、「それで・・なんなの」と聞きたくなる低調な句だ。だが・・!

なにせ、延宝天和の時機は商家がどーんと力を付け大江戸バブルの真っ最中。あの好色一代男の出版(天和二年)の土台となった町人文化の興隆期なのだもの、芭蕉だって・・

それで・・実は、漫才のオードリー春日のように、桃青時代の芭蕉も、貧乏を「笑・あそび・芸」のネタにしたのでは?と最近とみに思うのである。

雪の午後林檎まるまる噛み得タリ 半可ξ
(ゆきのごご りんごまるまる かみえたり)


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2月3日

初花に命七十五年ほど 芭蕉
(はつはなに いのちななじゅう ごねんほど)

芭蕉三十五才。
縁起言葉で初物を喰らうと七十五日長生きができるという。
そいつをもじって初桜を見ると七十五才も寿命が伸びますなんて言ってるわけだ。
若い時のどうしょうもない下手な句だ。
それはおいといて、ある種あの時代のピープルには七十五才は上等なあこがれだったことがわかる。

2015年厚労省発表の日本の平均寿命女性87.05男性80.79である。
七十五才なんて今では平均以下。芭蕉さんいまならみんなに「なにそれ」って言われます。

節分に命七十二つぶほど 半可ξ
(せつぶんに いのちななじゅう につぶほど)


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2月7日

この種と思ひこなさじ唐辛子 芭蕉
(このたねと おもいこなさじ とうがらし)

思いこなさじは「あなどるな」という意味だそうです。
元禄三年二月伊賀上野での作。この句と次の二句をあわせて三草(みくさ・芋・唐辛子・茄子)の句と言うらしい。
いずれも生命の活力が芽吹きはじめる春の小さな悦びを素直に表現していると言うことらしいが、どうでしょう?!?!

春雨や二葉に萌ゆる茄子種 芭蕉
(はるさめや ふたばにもゆる なすびだね)

種芋や花の盛りに売り歩く 芭蕉
(たねいもや はなのさかりに うりあるく)

さて、ただフワフワの冷たい雪だって、んんんーんと固められてこんな立派な凱旋門になりました。
しかし、メーンの大雪像に負けず今年一番人気の雪像は、市民グループが手がけたあのPPAPでしょう。

粉雪と思いこなさじ雪祭り 半可ξ
(こなゆきと おもいこなさじ ゆきまつり)


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2月14日

京まではまだ半空や雪の雲 芭蕉
(きょうまでは まだなかぞらや ゆきのくも)

だんだん暖暖春めいてきました。
今日から、日本の暦では、七十二侯立春三侯魚氷上(うおこおりにのぼる)。

今日よりは魚氷上の午の雲 半可ξ
(きょうよりは うおひょうじょうの ひるのくも)

「魚氷上」、半可ξのは「うおひょうじょう」とよみます。
空に浮かぶ雲までも生き生きと泳いでいます。

もじどおりもぞもぞといろんなモノが動き始めます。
車道の雪は消えましたが、歩道はザクザク。

自転車ジジイ、リターンまであと数週間。

2月17日

武蔵野や一寸ほどな鹿の声 芭蕉
(むさしのや いっすんほどな しかのこえ)

延宝3年、芭蕉32歳の時の作。
聞いてはいたが、武蔵野はひろいねえ。
鹿の鳴き声だってうんと遠くにちっちゃく聞こえるだけだ。

だから何なのって句であるが・・

ちょっとと親指と人差し指で表現します。
その間隔が一寸。で、漢字で書くと「一寸」だ。

では、たくさんの「いっぱい」はてと「一杯」。
たった一杯で十分とは、ずいぶん謙虚なもんですな。

えぞの地や一寸ほどな春の景 半可ξ
(えぞのちや いっすんほどな はるのけい)

大丈夫。これからこれから。


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2月18日

霜を着て衣片敷く捨子哉 芭蕉
(しもをきて ころもかたしく すてごかな)

延宝五年、芭蕉34歳の時の作。
そろそろ「俳諧の宗匠」になるぞとアピールしていた時期らしい。この句、古今集 良経の「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねむ」という夜這い失敗の恨み歌のパロディーと洒落たものだ。

そのころの俳諧界は、「おおさか」の西山宗因率いる談林派が全盛。つまり、辛気くさくてお固いのを嫌い、解放的で遊戯的で、お気楽にすちゃらかとしたおどけ調子の俳諧がトレンドだった。

言ってみれば、芭蕉もようやく「M-1グランプリ」にエントリーし、メジャーな世界に一歩足を踏み入れた、若手芸人というところなのだ。

だからみなさん、「おいおい・・捨て子かよ!」って、受けてやって下さい。

虫の聲コロ聴きながら夜警哉 半可ξ
(むしのこえ ころききながら やけいかな)

コロというのはうちでむかーしむかーし飼っていた犬の名それと虫の音のコロコロと鳴くのをかけた。当時はスピッツが家飼いの定番、以外の犬は外飼いが当たり前。


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2月20日

内裏雛人形天皇の御宇とかや 芭蕉
(だいりびな にんぎょうてんのうの ぎょうとかや)

延宝六年、芭蕉35歳桃の節句の時の作。
他愛も無い句。内裏雛が飾ってあるが、もしこれは何時の時代だと聞かれたら「人形天皇」の時代ですと答えます、というのである。 と解説にあり。

[内裏]ダイリ [新漢語林 第二版]
①天子の宮殿。また、宮中。禁裏。
②「内裏雛(ダイリびな)」の略。天皇・皇后の姿に似せてつくった男女一対(イッツイ)のひな。

そうだ、お内裏さまとは天皇さま、お雛さまは皇后さまだったよなと今ごろしかと再認識した。
小さいとき母のお内裏様人形の首を引っこ抜いては喜んで遊んでいた経験が甦った。
不敬罪の時代ならば完全にアウトだ。
こんなことを書いても、場合によっては、人によっては、不敬罪だったんだろうな。

ああ、不自由不民主って肩が凝る。

昨日家人が雛人形を出した。

内裏雛人間天皇の御宇のとぞ 半可ξ
(だいりびな にんげんてんのうの ぎょうのとぞ)


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2月21日

ためつけて雪見にまかるかみこ哉 芭蕉
(ためつけて ゆきみにまかる かみこかな)

しっかり紙子に折り目を付けて、せめて身だしなみ位ちゃんと整えて、さあさ、愉しい雪見のお招きに行くべえ

素直なのか、嫌みなのか、テレなのか、謙虚なのか、またまたおちゃらけなのか・・・ この句をやり取りした人間関係に答が有りそうです。 答合わせはおまかせ。

ためつけて三重革を縫う冬安居 半可ξ
(ためつけて みえかわをぬう ふゆあんご)

B5サイズほどの端切れの皮が七八枚セットで380円。そのうち二枚を裁断してパーツを作り、しっかり「ためつけ」たり重ねたりしながら、狭い際を縫いあわせる。

冬安居(ふゆあんご)は坊さんの修行のことだが、一目一目、時にはちくりと針の痛みを感じつつ進めるのも、これまた「修行 = 安居」。

実は、今回皮が羊で柔らかくやりやすかった。
裁断から完成まで二時間弱。小銭入れ完成。
下手だけど実用に問題なし。


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2月22日

籠り居て木の実草の実拾はばや 芭蕉
(こもりいて きのみくさのみ ひろわばや)

元禄二年九月四日。
『奥の細道』旅中、大垣藩家老戸田恕水下屋敷にて。

大家の御家老のお屋敷にお招きを受けてのご挨拶の句だとか。

今は、渡り鳥の身の芭蕉にとつて、このおもてなしは将に天国か極楽かと、ゴマをすっているのであります。
エライ人によいしょもするし、尻尾も振る、ごく普通のおっちゃんの姿が垣間見られる句であります。

戻り旅の食料ナナカマドの実も、先行してきたヒヨドリ軍団に喰い果たされ、さてどうしたものかと思案中の気の毒なムクドリを街で見た。

後れ着き木の実草の実拾はざる ムクドリに代わりて半可ξ
(おくれつき きのみくさのみ ひろわざる)


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2月24日

貧主自ヲ云
髪はえて容顔蒼し五月雨 芭蕉
(かみはえて ようがんあおし さつきあめ)

貞亨四年、44歳。
貧乏でろくなものも喰って無くてこの梅雨と来ては、たまらんぜ。髪も髭もボウボウ、顔色だって良くないぞ。

いつ止むのかわからぬ雨で、黴が生えちゃった生身の人間を滑稽に演じているのだ。

ところで、色のあおは、普通の青が「青」、くすんでさえない発色の青が「蒼」、青空の青とか萌黄のようにパット明るめの青が「碧」だそうだ。

本日、サッポロ、久々の碧空。久々の夕焼け。


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老人自ヲ云
髪はげて容顔老けし春夕焼 半可ξ
(かみはげて ようがんふけし はるゆやけ)

2月27日

我に似るなふたつに割れし真桑瓜 芭蕉
(われににるな ふたつにわれし まくわうり)

元禄三年伊賀上野とか七年大坂とか。
難波あたりより陰士東湖(之道)といふ人、不肖の我を慕ひ訪はれし時とある。

こんなオッちゃんのマネなんか止めて、もっと自分の個性を磨いて君なりの独自の世界を開かねばいかんぞよと、弟子の東湖を諭している句だ。

瓜二つを洒落ているのだが、瓜二つは似たもの同士。
つまり瓜は二つある。
でもさ、この句だと一つの瓜が二つに割れてる?
ええ?どーいうこと?

芭蕉の句は理屈に合わないことがよくある。こんな時は調子で軽く理解するべしと、指導書にはよく書かれている。しょせん軽く軽く。

蟇に似るなふたつに割れし脂肪腹 半可ξ
(がまににるな ふたつにわれし しぼうばら)


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囂kamabisuan庵