囂kamabisuan庵

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5月7日

四つ五器のそろはぬ花見心哉 芭蕉
(よつごきの そろわぬはなみ ごころかな)

元禄七年三月二日。依水ら友人を伴って江戸上野の東叡山寛永寺での花見を挙行。とあります。

世間は豪華にやれお重だやれ清酒だやれ天幕だとドンチャンやっておられますが、わたくし芭蕉は四っ御器すらももまともに持ち合わせずでござんすが、風流に花見何ンぞに来ております。

芭蕉のヒガミが情けない句です。

いやいや、お得意の、上から目線で、世間を「無風流」と小馬鹿にして嘲笑ふているのでしょうか。

北国も桜は満開。

炭コンロそろへて花見心哉 半可ξ
(すみこんろ そろへてはなみ こころかな)

当地では無風流がルールーです。


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5月8日

散る花や鳥も驚く琴の塵 芭蕉
(ちるはなや とりもおどろく ことのちり)

なんとも分かりにくい句だが、
素晴らしい琴の音色に鳥もビックリ歌を忘れ、
花もハラハラ舞い降りて仕舞います。

これを称して「琴の塵」でございます。とか。

この句は、其角の門人で伊予松山藩家老久松粛山が、狩野探雪による 笙・琴・太鼓 三幅対の軸に所望した賛であるとか。

其角と芭蕉と山口素堂がそれぞれに以下の賛を加えたそうだ。

右  笙 其角 けしからぬ桐の落葉や笙の声
中  琴 芭蕉 散る花や鳥も驚く琴の塵
左 太鼓 素堂 青海や太鼓ゆるみて春の声

のち、寛政七年に、
小林一茶が、この三幅対を松山の百済魚文邸で見て

魚文かたにて素堂芭蕉翁其角の三幅対あれば訪ふて拝す

正風三尊みたり梅の宿 一茶
(しょうふう さんぞんみたり うめのやど)

単に見て驚いただけのつながりで

運針や髷も驚く殊の外 半可ξ
(うんしんや まげもおどろく ことのほか)

遣米使節の一行はミシンに驚いた。


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5月10日

物の名を先づとふ芦のわか葉哉 芭蕉
(もののなを まずとうあしの わかばかな)

句の前に「竜尚舎」とある。
龍尚舎(りゅうしょうしゃ)は、伊勢俳諧の重鎮で、伊勢神宮外宮の年寄り職の龍伝左衛門の号ですと。大変な博学家で有名なお人だったらしい。

所変われば品変わるみたいなもので、「難波の蘆は伊勢の浜萩」という言葉があるらしい。

難波で「葦=あし」と呼ぶ草を、伊勢では「浜荻=はまおぎ」と呼ぶのだそうだ。

みんなが知ってることを事を持ち出して、「この若葉はなんちゅう名ですの?」なんて尋ねるなんて、ただのよいしょか嫌みですわ。つまりこの慇懃無礼さの作法が挨拶句つうもんだす。

挨拶句つうもんは、国会で与党議員が総理大臣にする質問みたいなもんですわ。

さて、先日、某所に税込み950円のブルーベリー(別名:沼酸塊=ぬますぐり)を三本植えた。


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サマータイムとブルーマジシャンとマウンテンという若苗だ。
どの苗が某所の土に適しいるかというお試しのためだ。

苗の名を先ず記録せり沼酸塊 半可ξ
(なえのなを まずきろくせり ぬますぐり)

数年で死にそうな余が試しても始まらないことに今気がついた。

5月10日

樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉
(かしのきの はなにかまわぬ すがたかな)

桜の季節だっちゅに、浮かれもせず、しゃんとしっかりしてらっしゃる。お堅いお堅い、あなたはエライ!

ある人物の堂々たる態度を誉めそやした挨拶吟とあるだす。

戴いたのは、先月3日白梅でも紹介した大金持ち越後屋系の三井秋風さん。

こんなご挨拶句を戴いて、本当は嬉しいか?哀しいか?

 家する土を運ぶ燕 秋風
 (いえするつちを はこぶつばくろ)

わたスは三井家のためセッセと働いております。
無骨者と芭蕉さんに嫌みられた秋風さんの脇句だす。

秋風さん、後に、取り巻きのお友達がいけなかったんでしょう、放蕩三昧で破産ですワ。

今日は歯の浮くシリーズを二題お送りいたしました。

さて、昨日、約25×35×3サイズのケヤキの板が、高級天板屋の前で500円で売られているのを見た。

樫の木の端切れて安き姿かな 半可ξ
(かしのきの はぎれてやすき すがたかな)

欲しかったが、今何で欲しいのかが判らなかったので、買わなかった。


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5月11日

松なれや霧えいさらえいと引くほどに 芭蕉
(まつなれや きりえいさらえいと ひくほどに)

延宝年間の作と言うことは30代のもの。

辺り一面霧で覆われていた磯。
何かの意思が働くように、スーッと霧が霽れていく。
目の前にどっしりとした松の姿が見えてくる。

謡曲「岩舟」で、住吉の松風が「えいさらえいさ」と宝船を浜に押し上げるシーンを、芭蕉くんは意識しているわけだ。

芭蕉くんの心には宝船に勝とも劣らない「絶景」が現れたと解釈しておきましょう。

日本人が初めて今流の化学実験を体験したときのたぶん写真を元に描かれた画が、ニカワ屋の広告に使われたそうだす。

もちろん真空の実験装置を「えいさらえい」と引き合ったのは遣米使節のメンバーさんだす。

真空や髷えいさらえいと引くほどに 半可ξ
(しんくうや 髷えいさらえいと ひくほどに)


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5月12日

伊陽山中初春

山里は万歳遅し梅の花 芭蕉
(やまざとは まんざいおそし うめのはな)

元禄四年一月。

正月には三河万歳がやって来るのが常だが、山里の村には正月気分の消えかかった頃にやって来る。

でもさ、そのぶんたっぷり春が祝えてほんによろしおます。

ところで、 余が在は梅が5月の中旬旧暦だと四月の中ごろにやっと咲く。

まさに初夏ですわ。
遅れた萬歳どころか気の利いた金魚売が出だす頃ですねん。

SAPPOROはお目覚め遅し梅の花 半可ξ
(さっぽろは おめざめおそし うめのはな)

梅の独白:まあ二時間くらい遅刻しても、給食があたれば文句はないというところでんねん。だいたいわて朝礼は嫌いでんねん。


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5月14日

鳴海潟眺望

船足も休む時あり浜の桃 芭蕉
(ふなあしも やすむときあり はまのもも)

貞亨二年。『野ざらし紀行』の折に、鳴海で。とあり。

沖を船で進んでいると、鳴海の浜辺に若い女の子達が日光浴。
で、見事なヒップの桃尻オンパレードに船足も鈍りまする。

へへへ。現代版意訳。

ただ芭蕉さんの句は本当に桃の花。でも心理は一緒。

横綱も休む時あり五月場所 半可ξ
(よこづなも やすみときあり さつきばしょ)

やはり稀勢の里は休場してじっくり怪我を治して欲しい。


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5月15日

早苗にも我が色黒き日数哉 芭蕉
(さなえにも わがいろくろき ひかずかな)

元禄二年四月。『奥の細道』旅中、白河の関にて。

数日前「白河以北一山百文」で話題になった白河である。

旅に出てから、えらく時間もたち、もう、早苗の頃になっちまった。
なんと、早苗の色の清々しく美しいこと。

それに比べ、おいらは真っ黒に日焼けしておる。

白河の関は、
能因法師の「都をば霞と共に立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」でもお馴染みだ。

が、きゃつは旅もせずに、この歌出来ちゃったから、日サロに通って真っ黒に日焼けして、あたかも行ってきたかの振りをしたとかさ。

おいらは正真正銘「旅の日焼け」ぞ。

ちょっとちんけな自慢ですが、まあ、ひとなりでしょうか?

さて、真っ黒な顔といえば、昨日のモヤサマでサマーズが湿板写真の「がんぐろ」体験。

一枚2万円は高いようで安い。幕末期の五分の一以下だ。

未来にも我が色黒きガラス取り 半可ξ
(みらいにも わがいろくろき がらすどり)

写真屋さんがんぐろ仕立ては、幕末当時と同じですと説明していた。


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5月16日

蝶の飛ぶばかり野中の日影哉 芭蕉
(ちょうのとぶ ばかりのなかの ひかげかな)

貞亨二年。『野ざらし紀行』で鳴海付近にて。と。

雲ひとつ無いでかい空ってとこですかね。

蝶が唯一その空を独占して自由にヒラヒラと。

長閑ですね。

平和だね。

ゾッとします。

火星の飛ぶばかり野中の日影哉 半可ξ
(かせいのとぶ ばかりのなかの ひかげかな)

アメリカの方向は吾が頭上。
決してこうなって戴きたくは無し。


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5月18日

奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉
(ならななえ しちどうがらん やえざくら)

伊勢大輔 
いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほいぬるかな

を意識した句だそうです。
八九とか七七八とか数字遊びがご自慢のようです。

俳句的にはいつものことたいしておもろくないグループのなかまですな。

本日は五月なのに真夏並みの暑さです。
でも、旧千歳線の跡利用のサイクリングロードには八重桜のぼんぼりがたわわでした。

蝦夷五月六七本の八重桜 半可ξ
(えぞごがつ ろくななほんの やえざくら)


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5月20日

膳所へ行く人に

獺の祭見て来よ瀬田の奥 芭蕉
(かわうその まつりみてこよ せたのおく)

元禄三年一月の句だと。

膳所の方へ行かれたら、瀬田の奥山で「獺祭(だっさい)」を見ておいでなさい。とか。

獺祭 ダッサイ(新漢語林 第二版)
かわうそが自分の捕らえた魚をならべること。
人が物を供えて祭るのに似ているのでいう。

詩文を作るとき、多くの参考書を左右にならべひろげることのたとえ。

つまり、芭蕉さん・・口先ばかりでロクに勉強もしていないお弟子さんに与えた句ですわ。

意地悪質の芭蕉さんらしいきつい皮肉!ですわ。

さて初夏の札幌ではリラの花が咲き出しました。

ライラックの 祭り見て来よ 大通り 半可ξ
(らいらっくの まつりみてこよ おおどおり)

最近は情緒風情より商業主義が目立ち過ぎだなあ。
なぜか全国のラーメン屋台が軒を連ねて並んでいた。


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5月21日

古畑やなづな摘みゆく男ども 芭蕉
(ふるはたや なずなつみゆく おとこども)

貞亨三年。なずなはむろん、春の七草。

古畑というのは、春になってもまだ耕されていない去年の秋の収穫後そのままとなっている畑のこと。だそうだ。

この句は正月の句だが、さいはての地の畑は初夏まで古畑任三郎だ。

さて、家人の実家の露地畑のアスパラガスは多年草で、古畑家でも一番はじめに「頭角を現す」。

今年は、5月4日が初物の日でありました。

古畑やアスパラ摘みゆく老婆ども 半可ξ
(ふるはたや あすぱらつみゆく ろうばども)


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5月22日

圃角、扇ニ賛ヲ望ミテ

前髪もまだ若艸の匂ひかな 芭蕉
(まえがみも まだわかくさの  においかな)

圃角(ほかく)というおっちゃんの扇子にひとつと頼まれての句だと。

この圃角さんが何者かは不明なれど、かれが差し出した扇には幼児の初々しい姿でも写してあったのでもあろうか。

それとも、圃角さんのお孫の初節句のお祝いにとか?

兎に角、よいしょはつらいよ俳諧師ってとこでしょう。

庭園もまだ若艸の匂ひかな 半可ξ
(ていえんも まだわかくさの ひおいかな)

知事公館の裏庭でまだ前髪も若艸の匂いの保育園児たちが、若艸の匂いの中をはねていた。


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5月26日

鳩の声身に入みわたる岩戸哉 芭蕉
(はとのこえ みにしみわたる いわとかな)

元禄二年八月二十八日。

『奥の細道』旅を終えて、大垣明星輪寺宝光院参詣の折り。だと。

ところで
季語は「身に沁む」で、秋である。

秋の冷気やものさびしさが、身に深くしみるように感じること。和歌では「身にしむ風」「身にしむ秋」などと秋の冷やかさとともにつのるものさびしさをあらわす言葉だった。とのこと。

鳩の鳴く声がさびしいよーは秋のもの悲しさだそうだが、鳩の姿はどうだろう。

「ハンカチノキ」という木が有りました。

初夏に咲くその木の花の花びらの一部は白く巨大で、美しいより奇妙な感じだす。あちらでは「Dove tree:鳩の木」と言うそうです。

今日たまたま遭遇致しました。

鳩の群れ鳴かず飛ばずの夏木立 半可ξ
(はとのむれ なかずとばずの なつこだち)

どっかのオヤジが鳩をカノンで撃っていました。


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5月27日

皿鉢もほのかに闇の宵涼み 芭蕉
(さらばちも ほのかにやみの  よいすずみ)

宵闇迫る暑い一日の夕刻、外では蝉たちがまだ大合唱。

微かな天空の光の中で灯りも灯さず、じっと暑さを避けている。

いいあんばいに、食事中の白磁の皿鉢たちも、ほのかに薄い闇に青白く浮かび上がり、心地よい涼しさを演出してくれている。

わかる、真夏の夕刻、部屋の灯りさえ、あつくるしく感ずることあるぜよ。

電灯もほのかに午の味和み 半可ξ
(でんとうも ほのかにひるの あじなごみ)

吾が地ではまだまだ夏の初め。電灯の光りも味のうち。

江別野幌の豆ひなで山菜の天ぷらと蕎麦の昼。

山菜天ぷらの種類はウドの芽、ヨモギ、ギョージャニンニク、こごみ、三つ葉。


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5月29日

悲しまんや墨子芹焼を見ても猶 芭蕉
(かなしまんや ぼくしせりやきを みてもなお)

延宝八年、芭蕉37歳の作。と。

  今日は29の日だから、句も肉にちなんで。

芹焼は鴨肉を焼いて、匂い消しのために芹を加えて醤油で味付けする、すき焼きみたいな肉料理。だと。

で、墨子は紀元前頃の中国のリベラル派の思想家。

で、墨子は白い絹の練(ね)り糸が黄色にも黒色にも染まるという話を聞いて泣いたんだと。

それは、人の性質の善悪は、環境や教育次第によって決まってしまうことを悲しんだんだって。

で、この句。

鴨肉の赤身にだんだん焼き色がついて、投入した緑の芹にまみれてオマケに醤油でジュージューされて・・こんなにいい光景を、悲しがる人なんていますかいねえ? って芭蕉さんは蘊蓄で遊んでいるわけだ。

さて、余も肉を食わねばと思いしが、やっぱ暑い日は蕎麦でしょと、雨耕庵へ。

悲しまんや墨子天ぷらを見ても猶 半可ξ
(かなしまんや ぼくしてんぷらを みてもなお)

また、山菜天ぷらたのんじゃった。


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