囂kamabisuan庵

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10月1日

人々をしぐれよ宿は寒くとも 芭蕉
(ひとびとを しぐれよやどは さむくとも)

元禄二年晩秋伊賀上野の門弟配力(はいりき)亭に伊賀在の蕉門の殆どが集まって歌仙が催された。と。

一同は真剣に没頭。しーんと静まりかえって場は重苦しい。

こんな場の光景に芭蕉先生、更に時雨でもあればなおさら秋の侘び加減が増すだろうになあ・・と。

今朝今年初めて外窓が結露した。

神無月をむかえよ宿は寒くとも 半可ξ
(じゅうがつを むかえよやどは さむくとも)


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10月2日

鵜 舟

岐阜の庄長柄川の鵜飼とて、世にことごとしう言ひののしる。まことや、その興の人の語り伝ふるにたがはず、淺智短才の筆にも言葉にも尽すべきにあらず。「こころ知れらん人に見せばや」など言ひて、闇路に帰る、この身の名残惜しさをいかにせむ。

  おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 芭蕉
(おもしろうて やがてかなしき うぶねかな)

祭りの後の空虚感・・

ある時の政権が憲法に基づいて臨時国会の召集を求められ、三ヶ月後に召集し、その冒頭で議会を解散した。僅か100秒の国会開催であった。

民衆はレベルの低い国盗り合戦に終始する政党の泥仕合スキャンダルや、猟官目的だけの代議士達の野合集散のドタバタにいやいや付き合わされる。

鵜匠と鵜と篝火と鮎たちの阿鼻地獄はいつまでも終わろうとしない。

おもしろうてやがて悲しき選挙かな 半可ξ
(おもしろうて やがてかなしき せんきょかな)

ご注意

もしもし鴨よ、鴨さんよ。
緑に鴨られ鴨さんよ、やがて鵜となることなかれ。


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10月4日

住吉の市に立ちてその戻り、長谷川畦止亭に各々月を見侍るに

枡買うて分別替る月見哉 芭蕉
(ますこうて ふんべつかわる つきみかな)

元禄七年九月十四日。

芭蕉は前日升の市で賑わいう住吉神社に詣でた。

ここで、祭の名物の「枡」を買ったと。

「分別」は仏教では対象を知る心のはたらきを言う。

つまり、住吉さんの四角い枡をありがたく頂戴したけど、お月さん見たら、こんどは丸いものをありがたく思っちまっただよと冗じているんだと余は解釈する。

神仏に頼っても一向に回復しない体調を苛立たしく思っていたのではと思うのだ。

芭蕉にとって五十一才最後のお月見、死のひと月前のことである。

さて、本日はそれから323回目の中秋の名月ながら・・。

名月を雲が貸し切る今宵かな 半可ξ
(めいげつを くもがかしきる こよいかな)


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10月9日

新藁の出初めて早き時雨哉 芭蕉
(しんわらの でぞめてはやき しぐれかな)

元禄七年、51歳。と。

此の句は秋の内、猿雖に遊びし夜、山家のけしき云ひ出し次手、ふと言ひてをかしがられし句なり(蕉翁全伝)と。

伊賀のお金持ち商人窪田猿雖(くぼたえんすい)亭での作句。と。

今でも新藁は正月の〆飾りや注連縄をつくるに用いるんでしょうな。

そのほか芭蕉さんの時代には、藁は草履や縄や俵や御座などの材料として大切な資源だったんですな。

しかし、なぜ「新わら」なんですかね。

普通の爺ちゃんだと「新米」と来るところだしょ。

たぶん、新藁→注連縄→年の瀬の単純な連想で、平凡なオヤジのありきたりな思い、「一年ははえー」を戯れて句にしたのではと半可ξは思うのだ。

新米の出初めて早き時雨哉 半可ξ
(しんまいの でぞめてはやき しぐれかな)

新米では全く面白くないのが良くわかりますな。あはは。


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10月11日

熟田に詣

社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすゑえて其神と名のる。よもぎ、しのぶ、こゝろのままに生たるぞ、中なかにめでたきよりも心とヾまりける。(野ざらし紀行)

しのぶさへ枯て餅かふやどり哉 芭蕉
(しのぶさえ かれてもちかう やどりかな)

枯れた忍ぶ草ボウボウの熱田神宮は往時の姿を偲べないほど荒廃しちょるぜよ。

でもさ、こちたら茶店の縁台で餅を食いながら、お気楽に再建の状況を暢気に見物だわさ。

芭蕉さんが「野ざらし紀行」で熱田神宮を詣でてからわずか四年後、「笈の小文」には熱田御修復との報告があるだす。

磨なほす鏡も清し雪の花 芭蕉
(とぎなおす かがみもきよし ゆきのはな)

一安心だす。

でもね、草ボウボウで石を神様に見立ててた時には、あまり有り難がらず超俗に餅なんか食ってたのに、ピカピカ神殿に変わったとたん神聖さを表にモロ出すこのへんの聖俗の使い分けがものすごく現実的でおもろいでんな。

みーちゃん・はーちゃんとしての民衆心理そのものでんな。

シノブさえ惚れて飽きたる秋刀魚かな 半可ξ
(しのぶさえ ほれてあきたる さんまかな)

今年は高値がアホらしく魚屋で見るのみだ。


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10月14日

貞亨五戊辰七月二十日 於竹葉軒長虹興行

粟稗にとぼしくもあらず草の庵 芭蕉
(あわひえに とぼしくもあらず くさのあん)

尾張の坊さん俳人長虹の竹葉軒で開催の七吟歌仙の折の発句。と。

質素清貧な庵主の生活態度に共感しての挨拶句だと。

でも余は、芭蕉というお人の、ちょっといやらしい、上から目線の人物評と長虹さんへのダイレクトな皮肉だと見る。

質素ぶって粟稗粥なんて出して演出しくさってるのに、この草庵の佇まいなんて上物で結構じゃん。

ふふふ今回興業のギャラはお負けしませんぞ。

と心の中で言っているのだ。

まあこれが言葉遊び時代の正調な俳諧なんですがね。

新蕎麦に乏しくもあらず老ひの午 半可ξ
(しんそばに とぼしくもあらず おいのひる)

ここは北広島のなかむらって蕎麦屋さん。旨いよ。

写真撮るの忘れたんでなく狙いだからね。念のため。


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10月15日

島田の時雨

元禄四年十月下旬

時雨いと侘しげに降り出ではべるまま、旅の一夜を求めて、炉に焼火して濡れたる袂をあぶり、湯を汲みて口をうるほすに、あるじ情あるもてなしに、しばらく客愁の思ひ慰むに似たり。暮れて燈火のもとにうちころび、矢立取り出でて物など書き付くるを見て、「一言の印を残しはべれ」と、しきりに乞ひければ、

宿借りて名を名乗らする時雨かな 芭蕉
(やどかりて なをなのらする しぐれかな)

奥の細道の旅以来長期にわたる上方住いから江戸に下る旅の途中、島田宿で塚本如舟のために書いた一文が『島田の時雨』である。と。

この後如舟との付き合いが始まったんだと。

まあこれ、彼らの世界の名刺みたいなもんだろか。

それとも巷の飲食店によくある有名人のサイン色紙みたいなもんのハシリかも。

二刀流サインは読めぬ蚯蚓流 半可ξ
(にとうりゅう さいんはよめぬ みみずりゅう)

ちなみに、蚯蚓(みみず)は夏の季語だそうです。

もひとつちなみに、ファイターズ大谷二刀流御用達のきっ川も旨い蕎麦屋です。


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10月16日

鬼灯は実も葉も殻も紅葉哉 芭蕉
(ほうずきは みもはもからも もみじかな)

元禄四年とか。

芭蕉として名前が結構上がっているころの句だと言うが、小学生かと正岡子規でなくても言いたくなる。


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一方、近所のコーヒーハウス宮田屋の、奥の草ボウボウ花壇の鬼灯はあまりにも見事でした。


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近ごろはお銚子ひとつで紅葉哉 半可ξ
(ちかごろは おちょうしひとつで もみじかな)

10月17日

名月や児立ち並ぶ堂の縁 芭蕉
(めいげつや ちごたちならぶ どうのえん)

元禄三年八月十五日義仲寺での江佐尚白との両吟歌仙の発句。と。

発句が定まるまで二転三転とか。

その一番バッターが
名月や児立ち並ぶ堂の縁 芭蕉
(めいげつや ちごたちならぶ どうのえん)

二番バッターは
名月や海に向かへば七小町 芭蕉
(めいげつや うみにむかえば ななこまち)

三番バッター定まりの句が
名月や座に美しき顔もなし 芭蕉
(めいげつや ざにうつくしき かおもなし)

お気楽なもんでんな。
その日気分で、座りが良いとか悪いとかなんでんな。 でもこんな自由さが、俳諧の面白味でんねん。

定まり句は、適当にボケツッコミが効いているっうところでんねん。たぶん。

江佐尚白さんは医師で俳人。
なかなかの才能の持ち主だったらしい。

芭蕉の俳句に魅されて、大津貞門派から弟子の水田正秀森川許六濱田酒堂川村乙洲などを引き連れて蕉門に移籍。

ここでも大津俳諧界の再編成です。
後に芭蕉とメンツがこじれ不仲に。

なんか・・似てますね。

さて、
江別の公園で保育園児達が丘の上からそろって「Yahooー」。

下にたまたまいたおじじが異常に照れていた。

ヤッホーヤッホー稚児立ち並ぶ丘の上 半可ξ
(やっほーやっほー ちごたちならぶ おかのうえ)

総選挙児立ち並ぶ堂の中 半可ξ
(そうせんきょ ちごたちならぶ どうのなか)

さて今回も稚児選びの選挙に国民が付き合わされている感は否めない。


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10月18日

奥の細道 平泉 元禄二年五月十三日

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有り。 秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。 まず高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。 衣川は和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷をふせぐとみえたり。 さても義臣すぐ つて此城にこもり、功名一時の叢となる。 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打ち敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

もっと奥の細道

復元屯田兵舎の傍らに樹齢100年を優に越す大木の桐有り。
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むかし女子が産まれると桐を植え嫁入り道具の材料にしたりと聞く。 桐の大木がこの家のその後を雄弁に語りぬと、チャリうち捨てて、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。

桐一葉兵どもが夢の跡 半可ξ
(きりひとは つわものどもが ゆめのあと)


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10月19日

蔦の葉は昔めきたる紅葉哉 芭蕉
(つたのはは むかしめきたる もみじかな)

貞亨五年秋。江戸。45才。

突然だすが、余は紅葉より落葉が好ズラ。
足もとの落葉は神の為したるアートだと思うズラ。
人のチカラではとうてい作り得ない完璧な芸術作品だと思うズラ。

では、そんな気持ちでもう一回芭蕉さんの句を見て見よう。

「昔めきたる」が輝いてきました。

ツタの紅葉はなんか古くさくてダサイ感じの紅葉だわさって言う人おるけど、ぽっと出のモミジやカエデに比べ、ツタの紅葉はクラシカルロマンあふれ、上品で神秘的で神々しい紅葉だとおもうざんすよ。

ってことかいな?

それはそれとして、
昔めきたる感いっぱいの奈良へはもう七年もいってない。

柿喰えば昔めきたる鐘の音 半可ξ冗句
(かきくえば むかしめきたる かねのおと)


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10月20日

初霜や菊冷え初むる腰の綿 芭蕉
(はつしもや きくひえそむる こしのわた)

元禄五年晩秋。

此の句、羽紅のもとより、腰綿をつくりて贈られし返事なり。と。

菊の被せ綿【きく‐の‐きせわた】
陰暦九月九日、重陽の節句に行われた慣習。前夜、菊の花に霜よけの綿をかぶせ、その露と香りを移しとって、翌朝その綿でからだをなでると、長寿を得るといわれた。きせわた。きくわた。

っうものが有るのだと。

そろそろ初霜かなという頃だから、凡兆くんの奥さんの羽紅さんが、おっちゃんのお尻の穴の菊も冷えたら辛かろうと心配して腰綿作ってくれたのさ。

ありがたやありがたや。ケッケッケ。

というちょっと”シモ”ネタ使いの御礼の句だと余は思うぞ。

時々昔流の俳諧こころがちょろちょろする芭蕉くんのことをちゃんと押さえておかなきゃいけませんぞ。

てっぺんが少し寒いひとへは。

初霜や荻冷え初むる綿帽子 半可ξ
(はつしもや おぎひえそむる わたぼうし)

おっ!これは”カミ”ネタだす。ハッハッハ。

冬に向け、今日腰綿みたいなもの買った。


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10月21日

野ざらし紀行 不破

秋風や薮も畠も不破の関 芭蕉
(あきかぜや やぶもはたけも ふわのせき)

貞享元年九月の初め頃、野ざらし紀行の旅の真っ最中の作でざんす。

それより84年前の慶長五年九月十五日=西暦1600年10月21日は、ご存知「天下分け目」の関ヶ原の合戦の日ざんす。

芭蕉さんは、不破の関つまり関ヶ原で、その「84周年記念」を迎えていただ。

さて、本日2017年10月21日は、その「417周年記念日」だすえ。

おら達にとって、84年前は、1933年昭和八年だわさ。

日本軍が山海関で中華民国軍と衝突
ヒトラーが独首相に就任 ナチス政権獲得
小林多喜二が治安維持法違反容疑で逮捕される
ルーズベルトが第32代米大統領に就任 ニューディール政策始動
皇太子明仁親王(今上天皇)誕生

芭蕉さんにとっても、関ヶ原合戦はリアリティー感のある「近過去」のことだったはずだす。

秋風に吹き寄せられた20数万の兵士たちの阿鼻叫喚の地にて思う凄味の効いた句だと余は思いますだ。

奇なるかな。

秋風や国難解散関ヶ原 半可ξ
(あきかぜや こくなんかいさん せきがはら)


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10月22日

榎の実散る椋の羽音や朝嵐 芭蕉
(えのみちる むくのはおとや あさあらし)

40才代の作とか。

榎を塒にしていたムクドリの大群が一斉に飛び立つ。

まるで嵐のようだ。

後には榎の実が散らばっている。

榎の実は熟すと甘いのだそうだ。

そんなご馳走をあの下品で騒がしい集団が食べ残すとは思えない。

それともあの下品で騒がしい集団はみんな左党で甘いものは喰わぬとでも。

さて、この秋は嵐もなく穏やかに過ぎたと思ったら、でかいのがやってくるようだ。

木の実はすでにみな落ちちゃった。

でも、赤や黄色のおべべは、まだまだまとってる。

さあさあ張り切って木々さんたちを一気に裸にでもしてもらおうか。

昭和中期の浅草池袋の雰囲気で・・

木の葉舞えひゅーひゅーひゅー冬嵐 半可ξ
(このはまえ ひゅーひゅーひゅー ふゆあらし)


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10月23日

我が草の戸の初雪見んと、余所にありても空だに曇り侍れば急ぎ帰りることあまたたびなりけるに、師走中の八日、はじめて雪降りけるよろこび

初雪や幸ひ庵にまかりある 芭蕉
(はつゆきや さいわいあんに まかりある)

貞享三年十二月十八日(西暦1687年1月31日)

43才のゆきやこんこんでのはしゃぎっ振りだすな。

宗匠はんは犬か!

場所はお江戸。
そうか東京の初雪は新年を迎えてからだすわね。

本日さっぽろ市内の初雪なり。

西暦10月23日だから、”内地”より三ヶ月も早いでござんす。

根雪はまだまだ先のこと。
チャリには乗れるが寒い。

初雪や幸ひ綿入購うてある 半可ξ今日は爺じξ
(はつゆきや さいわいわたいれ こうてある)

下は 豊国 十二月の内 小春初雪


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10月24日

屏風には山を画書いて冬籠り 芭蕉
(びょうぶには やまをえがいて ふゆごもり)

元禄二年初冬。伊賀の門人平仲宅訪問時の挨拶吟と。

平仲という人のことはよく分からないそうだ。

絵描きなのか表具師なのかただの器用人なのか想像しても始まらない。

後に 

 金屏の松の古さよ冬籠り 芭蕉
(きんびょうの まつのふるさよ ふゆごもり)

と直したということだから、骨董蒐集趣味の金満家かもしれない。

いい加減に妄想はやめよう。

さてそろそろ冬がちらちらと・・

山頂に髭を描いて冬籠もり 半可ξ
(さんちょうに ひげをえがいて ふゆごもり)

髭は昨日の雪。髭の主は手稲山。

髭はさっぽろオリンピックの回転競技場になつたスキー場。

近ごろはアジア系観光客のスキー初体験のゲレンデとして大人気だ。


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10月25日

なまぐさし小菜葱が上の鮠の腸 芭蕉
(なまぐさし おなぎがうえの はやのわた)

元禄六年夏。

この句に関しては、支考の『笈日記』によれば、元禄七年去来の別宅桃花坊で芭蕉に会った折、支考がこの句について残暑の景であると言ったところ、芭蕉から「阿叟もいとよしとは申されしなり」と言われたとある。と。

「菜葱なぎ」は水草で、美しい紫の花が咲くが、悪名高き田の草で、農民からは最も嫌がられる。と。

「鮠はや」は淡水に棲むハヤのこと。

川ざらいで水草取りをしたときにいっしょに上げられたはやが生臭く匂う。これも「狂った夏」の風物誌だわさということかいな。

それにつけても毎年毎年田畑の草取りやもろもろ・・お百姓さんご苦労様。

大収穫祭よかったです。

香ばしきジャガバタ上の烏賊の腸 半可ξ
(こうばしき じゃがばたうえの いかのわた)

数年前居酒屋でジャガバタにイカの塩辛をトッピングしたのを出され、いらい我が卓でも定番と化しております。


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10月26日

芭蕉句集1066句の中に「もみじ」という言葉が入る句は五句しかない。

少ないと云えば少ない気がしますな。

その五句も紅葉でシャレたり地味に捉えていたりで、「わーい紅葉だ!!」っうようなワイワイウキウキの句などはない。

何でだろうね?

延宝四年

 人毎の口にあるなりした栬 芭蕉
 (ひとごとの くちにあるなり したもみじ)

延宝五年

 色付くや豆腐に落ちて薄紅葉 芭蕉
 (いろづくや とうふにおちて うすもみじ)

貞享五年江戸で

 蔦の葉は昔めきたる紅葉哉 芭蕉
 (つたのはは むかしめきたる もみじかな)

元禄四年彦根で

 尊がる涙や染めて散る紅葉 芭蕉
 (とうとがる なみだやそめて ちるもみじ)

説元禄四年

 鬼灯は実も葉も殻も紅葉哉 芭蕉
 (ほうずきは みもはもからも もみじかな)

ね! 燃えるようなワイワイ感あふれる紅葉の句なんて無いだしょ。

何でだろうね?

百五六十有る桜や花だとワイワイ句けっこうあると思うがね。

何でだろうね?

俳諧の世界では、あくまでも「雪月花」が主役なんだろうかね?

何でだろうね?

やっぱ、地味さが厭なんだろうかね。
いやいや、逆に派手すぎてダメなのかね。

何でだろうね?

紅葉に燃えるのは、現代人っうことかいね。

大紅葉燃え上がらんとしつゝあり 高浜虚子
(おおもみじ もえあがらんと しつつあり)

そんじゃ、おらも現代人っうことで

天も地も豪華絢爛大紅葉 半可ξ
(てんもちも ごうかけんらん おおもみじ)

北海道大学の銀杏並木周辺の美事な紅葉ドーム。

アジア系の人々の称賛の叫びがなまらでかい。
たしかにこの劇場は、詩情が薄い感・・あるなあ!


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10月28日

何事の見立てにも似ず三日の月 芭蕉
(なにごとの みたてにもにず みかのつき)

先に(2017.8.17)この句を紹介したとき、

余は札幌の蕎麦屋を見立てて見んといろいろ思案中なり。
実は、ただ蕎麦屋の定休日表を作りかっただけだけどさ。


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新蕎麦や見立てる客の笑み顰み 半可ξ
(しんそばや みたてるきゃくの えみひそみ)

などと偉そうに書きましたが、取り敢えずその見立て番付がでけた。

これからは汁もの種ものが加わるので、先ずは「もり」部門として一段落と思うておりまする。

「かけ」部門は厳しい冬の条件の中で、じっくりと吟味して決めようと思う。

札幌は水がいいので蕎麦の「旨いレベル」は全体に相当高い。

でも、余の見立評価には接客印象が四五割のウエイトを占める。ちょっと有名なお店でも、気に入らないと横綱も三役もダメ。

たかが蕎麦されど蕎麦である。

ご贔屓を求め尽くせよ蕎麦の日々 半可ξ
(ごひいきを もとめつくせよ そばのひび)

こうして、余の「もりかけ」追求の旅は続くのであった。

以下は見立て番付の横綱のお蕎麦屋さんの写真なり。

美園 けん豆

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大曲 なかむら

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西野 雨耕庵

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桑園 こはし

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荒井山 相生坊

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10月29日

Along this road goes no one, this autumn eve. ブライス訳

芭蕉が亡くなる直前の句

此の道や行く人なしに秋の暮 芭蕉
(このみちや いくひとなしに あきのくれ)

の翻訳である。

レジナルド・ホレス・ブライス Reginald Horace Blythさんは、 1898年12月3日イギリス生まれで 1964年10月28日東京聖路加病院で亡くなる。1949 年から 1952 年にかけて出版された全四巻からなる俳句の研究書 Haiku の著者。皇太子時代の天皇陛下の英語の先生だった。

俳句は詩なんだな。

五七五で語る詩なんだな。

芭蕉もブライスも景色を詠んでいるだけではないんだな。

芭蕉もブライスも今のその時の心のあり方を詠んでいるんだな。

写真や絵も同じなんだな。

景色がただ写っているんではないんだな。

今のその時の心のあり方が写っているんだな。

今のその時の心のあり方が描かれているんだな。

此の道や来る人なしに秋の暮 半可ξ
(このみちや くるひとなしに あきのくれ)


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10月30日

秋風の遣戸の口やとがり声 宗房
(あきかぜの やりどのくちや とがりごえ)

寛文七年、伊賀上野 宗房 24歳。

俳聖芭蕉当時主流の談林風に夢中な時代の句なり。

遣り戸は雨戸。台風の強い風が雨戸に吹き当たれば、さすが鎗だけに、尖った声でピューピューガタガタとやり返す。

風と雨戸の口喧嘩。小学生にもよく理解できる、言葉遊びの洒落が狙いの時代の俳句なり。

もともと俳句の「俳」の文字は、おどけや滑稽や頭おかしいんじゃないのやうけるやなんちゃってなどの自由なクレイジーさのことなんどす。


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談林風は現代の俳句とは遠いとこにあった娯楽だす。

芭蕉さんは言葉遊びの俳句を、心の響きの「詩」の俳句に導いたお人なんだすな。

余は芭蕉さんの目的を侘び寂びの世界などとかで表現するよりも、心の響きの「詩」と表現することを好みますだ。

だから、たくさん残っている芭蕉さんの句には、正岡子規さんが意地悪に指摘したように実に下らない句が多いいんだす。

芭蕉さんの残した句たち、実は俳句の発達史そのものだという訳ですわ。

子規さんもそんなこと百も承知だから、きっと芭蕉さんに嫉妬しての発言だと思いますわ。

さてさて、本日、此の地も低気圧に変身した台風の影響で朝から嵐だ。

談林風で

秋風を山盛りにして吹く嵐 半可ξ
(あきかぜを やまもりにして ふくあらし)


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10月31日

留守のまに荒れたる神の落葉哉 芭蕉
(るすのまに あれたるかみの おちばかな)

元禄四年十月二十九日、江戸に到着。

元禄二年彌生二十七日に江戸を立ってから、2年7ヶ月ぶりと。

橘町彦右衛門方借家に旅の荷を下ろす。

元禄七年五月十一日上方に下るまでここに住み、これが江戸最後の居となる。と。

2年7ヶ月も不在にしていた江戸で、ちょうど神無月の神が出雲から帰ってきたときのように、神社でもある自分の住まいも荒れ果てていることよ。と。

おいおい芭蕉さん、あなた様は神様ですか?

すごいジョークだね。

ところで神様ってエライね。

だって、ご自分で普段はお掃除するっうことでしょ。

エライ!!

さて、明日から11月だ。
でも、旧暦だとまだ長月十三日。
もちろん北の神様はまだ出雲出張してません!

留守前にリホーム神の紅葉かな 半可ξ
(るすまえに りほーむかみの もみじかな)

神もまた手を休めたり色落葉 半可ξ
(かみもまた てをやすめたり いろおちば)

でホッカイドウの神様はリホームや掃除さぼりを楽しんでる。

こちらもエライ!!

やっぱホッカイドウは秋も冬も早いね。

ああブルブル!


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囂kamabisuan庵