囂kamabisuan庵

2016  2017 2018 2019 2020 2021 2022 2023 2024 now
1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11  12

8月1日

無き人の小袖も今や土用干 芭蕉
(なきひとの こそでもいまや どようぼし)

貞亨五年夏。
去来に宛てた哀悼の句なり。

無き人はこの年の五月に亡くなった去来の妹千代(千子=ちね)で芭蕉の門人。だと。

旧家でも今はやらない土用干し=虫干=虫払=風入れ=曝書(ばくしょ)ですな。エアコンのお陰でしょうか。

さて、明日8月2日は、陰暦だと六月十一日で、むろん土用の内だ。

そしてこんどの日曜日は土用二の丑で、土用の最終日。

そしてそして翌8月7日が立秋だ。

熱帯の仲間入りをしそうな本州では「暦の上では・・」といってため息をつくのが当たり前の風物誌になってしまってとても気の毒に思います。

でも、当地は新暦の日並びで、陰暦の二十四節季の季節感がピッタリの地。つまり暦の上も下もない。

いいでしょう!?

関係ないけど・・

贅沢に土用鰻の二回喰ひ 半可ξ
(ぜいたくに どよううなぎの にかいくい)

したい!


拡大する

8月5日

又七(乙州)宛書簡

(元禄三年四月二十一日 芭蕉四十七歳)

へびむかでのうるさきも、頃日はなれ候而、
世のうきよりはと心静に御坐候間、御心安かるべく候。
明日参候而可得御意候様にいたし候。
泊り懸よろしかるべく候。 以上
廿一日 
又七様       ばせを

今回は句では無くお手紙。

川合又七は奥の細道の途中金沢で知り合い意気投合した大津の荷問屋・伝馬役左右衛門の妻智月の弟だと。姉の智月とともに、芭蕉の経済生活を支えたんだと。

今宿にした幻住庵は、門弟の菅沼曲翠(きょくすい)が伯父さんが使っていた庵を提供したんだと。蛇やムカデがでるセミあばら屋だ。

冒頭は、そんなキャンプ生活もたいへんそうだから、ウチに遊びに来て下さいと、又七姉弟が芭蕉さんを誘ったそれへのお返事のお手紙だ。

七面倒臭い世間に比べれば、蛇やムカデなんて慣れちゃえば大したことはないす。心配ご無用だす。と強がりか当てつけか諦めか気休めか。

でも、本心は又七のお誘いに「君が是非ということだから」ともったいを付け、結局は行くことに。 めんどくさい男です。

おまけに「泊めてね」とまでお願いとは、芭蕉さんもそうとう俗で普通なお人なんですね。

いわば幻住庵はタレント芭蕉さんの旅の俳諧宗匠として営業上必要な場で「スタジオ兼オフィス兼住居」みたいなものだと思います。

ともあれ芭蕉さんは夏秋にかけてここに四ヶ月滞在した。

いや、オフィスを構えた。


拡大する

8月6日

實にや月間口千金の通り町 芭蕉
(げにやつき まぐちせんきん とおりちょう)

談林風時代の句。

日本橋本通りに”値千金”いやいや”間口千金”の、まことに見事な月がでましたざんす。

ご本人は上手く言えたと思っているのです。

因みに「實=実」には、いきわたるの意味。屋内に財貨がいきわたるの意味から、みちるの意味を表す。常用漢字の実は省略形による。[新漢語林 第二版]

「實」という字の「屋内に財貨がいきわたる」&「みちる=月」という「蘊蓄」が芭蕉先生の自慢というところでしょう。

さて、明日8月7日は立秋。

お月様も8日は満月。

でも台風の影響で見られないかも。

余も談林風で

實にや月嘘八百の永田町 半可ξ
(げにやつき うそはっぴゃくの ながたちょう)

嘘吐きの吐きと月を掛けて・・嘘吐きが満ちあふれて・・

いかんいかん。

一様敬意をはらって、新内閣の誠意に期待致します。


拡大する

8月8日

子供等よ昼顔咲きぬ瓜剥かん 芭蕉
(こどもらよ ひるがおさきぬ うりむかん)

元禄六年夏。だと。

夏の日。大人たちは団扇扇子をパタパタしながら句会でもやっている。庭先の井戸端に瓜が冷やされている。蟬時雨が途絶えない。鶏頭の花が風に揺れた。廊下の隅の暗闇から幼子が寝ぼけマナコであらわれた。あとからもう一人二人。お昼寝タイムは終了だ。

さあさあ瓜でも剝いてみんなで食べようぜ・・となる

子供達の表情が、夏の日中に咲く昼顔のように、昼の顔に戻ったということだ。

芭蕉さんの子供に対する優しい一面をシンプルに理解しよう。

さて、暦では立秋の本日(8月7日)ながらまだまだ暑い。

公園集合に早着した少年二人。

一人がピッチャー。

投げた。

一人がバッター。

打った。

ボールは外野を転転。

ピッチャーの少年が野手として追っかけてそれを回収。

こんなルールで一打ごとに投打交代を何回も続けていた。

子供等よ昼顔枯れん水飲まん 半可ξ
(こどもらよ ひるがおかれん みずのまん)


拡大する

8月15日

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉
(そばはまだ はなでもてなす やまじかな)

以前に余が気に入りの蕎麦屋「けん豆」のご紹介がてらにご披露した句である。

呆けちゃっての二度使いではないのでご安心あれ。

さて、本日はsapporoの有明という熊も狐も鹿も出そうなおお田舎に蕎麦を食べにチャリ行した。

肝心の十割蕎麦は評判ほどの味ではなかったが、道行きで目にした光景は美味しかった。

蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 
(そばはまだ はなでもてなす やまじかな)

この光景に免じて、新蕎麦の頃もう一回試して見ようかな。


拡大する


拡大する


拡大する

8月16日

秋来にけり耳を訪ねて枕の風 芭蕉
(あききにけり みみをたずねて まくらのかぜ)

延宝五年、芭蕉三十四歳の時の作。と。

秋がきたぜよ。
寝惚け眼で、よう見えんが、
枕元の耳のとこにスーッと秋風が訪ねてきたもんね。と。

古今集藤原敏行

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞ驚かれぬる

がネタ。と。

以上が普通の解釈だす。

でもさ余は、なに上品ぶってんのさ。

もっと下ネタ路線で

あああ 厭きられちゃったわよ。
来るモノったらさ、枕元で、すーすーする風ぐらいだもん。
はっきり判るわよ。

こんなのりの解釈なら、下ネタエロ好みの談林風俳諧としては座布団一枚くらいは十分あると思うぜ。

と、なるのだ。

さて、近ごろはとても涼しい。

秋来ぬと目にも明かに来るを告ぐ 半可ξ
(あききぬと めにもさやかに くるをつぐ)

順当に飽き・・いやいや秋が来ている。


拡大する


拡大する

8月17日

甲斐山中

山賎のおとがひ閉づる葎かな 芭蕉
(やまがつの おとがいとずる むぐらかな)

貞亨二年、四十三歳。

『野ざらし紀行』の帰途、甲州谷村への道筋での句。と。

おとがい(頤)とは下顎のこと。

むぐら。かなむぐら。葛(くず)に似たつるくさ。

茎に細いとげがあり、節の周囲に葉が輪生して、小さい白、または、淡緑の花を開く。[新漢語林 第二版]

山道で会った髭もじゃの山賎が無口で通り過ぎたのを、葎が口を塞いで喋れないためとして興じたものであろう。

と。

今日の「うっかり紀行」

札幌新井山山中

蕎麦喰いのお訪ひ閉づる木曜日 半可ξ
(そばくいの おとないとずる もくようび)

相生坊という蕎麦屋までの急坂をチャリ押して上がれど残念。

収穫=出なおしで今度来る時はバスにしよう。


拡大する

8月18日

何事の見立てにも似ず三日の月 芭蕉
(なにごとの みたてにもにず みかのつき)

貞亨五年七月三日。『笈の小文』の旅の途次、名古屋日蓮宗円頓寺において。と。

三日月はやれ「鎌だ」、やれ「櫛だ」、やれ「眉だ」なんて喩えられて来たけどさ、どれにも似ちゃいねえでやんす。

さて、この日芭蕉せんせは三日月に何を感じていたのでしょうか。

答は、CMの後にもございませんので、ご自分でお考えください。

本日8月18日は旧の六月二十七日。

三日月ではないが下弦の言わば「裏三日月」が、晴れれば見られます。

因みに、本当の三日月の旧歴七月三日は来週土曜日26日だす。

み‐た・てる【見立てる】の意味
[動タ下一][文]みた・つ[タ下二]
1 見て選び定める。選定する。
2 病気を診断する。また、鑑定する。
3 別のものになぞらえる。仮にそのものと見なす。
4 見送る。
5 世話をする。後見する。
6 軽く扱う。見くびる。

芭蕉せんせは3番だが、余は1番で、札幌の蕎麦屋を見立てて見んといろいろ思案中なり。

実は、ただ蕎麦屋の定休日表を作りかっただけだけどさ。

新蕎麦や見立てる客の笑み顰み 半可ξ
(しんそばや みたてるきゃくの えみひそみ)


拡大する


拡大する

8月22日

文月の始め、再び旧草に帰りて

道ほそし相撲取り草の花の露
(みちほそし すもうとりぐさの はなのつゆ)

元禄七年七月初旬。

大津の義仲寺の無名庵を三年ぶりに訪れて。と。

スモウトリグサは、オイシバというイネ科の植物だと。

だれも通わぬ草庵の道の草だらけの朝露だらけ。

相撲取り草さんよ、横綱のわいが通るつうに露払いも知らんのかいな・・なんて談林風俳諧のニオイもしますねん。

さて、余の方は過日のリベンジ。

葉月の下旬、再び相生坊を訪ひて

道遠し相生坊の蕎麦と汁 半可ξ
(みちとおし あいおいぼうの そばとつゆ)

佇まいは草深い草庵へのアプローチ然。
しかし坊内は質素清潔。

蕎麦も汁もなかなかでした。

今回はチャリを麓に置いてバスで。
帰りは徒歩で散歩しながら下山。

満足度秋の空。

実はこの句6月にも紹介してました。
今回はそれ気がつきませんでした。
いやいやこれは呆けですな。

半可ξの呆け度も秋の空。


拡大する


拡大する


拡大する

8月30日

人々郊外に送り出でて三盃を傾け侍るに

朝顔は酒盛知らぬ盛り哉 芭蕉
(あさがおは さかもりしらぬ さかりかな)

貞亨五年八月十一日。
更科紀行の出発に際しての留別吟。だと。

朝顔は、一晩中ワイワイと騒いだ挙げ句、清々しい朝だっちゅうに、まだだらだら飲んで騒ぐ愚かな人間たちとは違って、今目を覚まし、楚々と咲いてくれて居るわい。

こうした静かで清楚なお見送りも嬉しいもんだす。

なんちゃって・・と言い合って、一同どっと笑いあい、師匠との悲しい別れをまぎらわす。というような具合でしょう。

まあ、昔の旅立ちは命懸けですからね。

良いとしましょう。

さて、次の大河は鏡川さんが大嫌いな西郷さんが主人公らしい。

おいらも未だに薩長が嫌いでね。
環状通り東駅前のこの居酒屋さんには行く気がしません。

ごめんなさい。

一方、道路沿いのコスモスは今が盛りだす。

秋桜は盛り場知らぬ盛り哉 半可ξ
(こすもすは さかりばしらぬ さかりかな)


拡大する


拡大する

8月31日

女木沢、桐渓興行

秋に添うて行かばや末は小松川 芭蕉
(あきにそうて いかばやすえは こまつがわ)

元禄五年九月。深川の桐奚(とうけい)亭で洒堂と三人で句会を催した。女木沢は小名木川のこと。と。

ちいちゃな秋見つけながら小名木川を行けば尽きないぜ。
終点の小松川まで行っちゃった。

つまり、あそこの日本酒がまた良いんだ・・次はあそこの焼酎が・・とついつい梯子酒になっちまう心理を、キレイに謳えばこの句になると言うことだす。

酒に沿うて行かばや末は終電車 半可ξ
(しゅにそうて ゆかばやすえは しゅうでんしゃ)

当地のこのごろ。涼しい秋が進行中。


拡大する

囂kamabisuan庵