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貞亨二年三月『野ざらし紀行』の折、尾張辺りでとある。
つまり「尾張じゃ桜は終わっちゃったが、木曽当たりだとこれからだ。みんなでいくべえ。」と言う、桜前線追っかけ俳句だ。
もちろん、三月、四月は旧暦。ちなみに、
貞享二年の三月一日は、西暦で1685年4月4日。
貞享二年の四月一日は、西暦で1685年5月3日。
余は、60数年以上前、安曇野のある小学校に入学をした。
入学式の時サクラは固い蕾で、徽章のサクラだけがピカピカだった。一月くらい後に咲いたサクラを背景に、クラスの入学記念の集合写真を撮った記憶がある。
思ひ出す安曇野五月の桜狩り 半可ξ
(おもいだす あづみのごがつの さくらがり)
ちなみに、
余のHP囂かまびすあん庵べんりだ堂の「和暦西暦変換」だと江戸時代の和暦西暦変換がスマートにできまっせ。自作のJavaScriptだけど。
貞享元年、連句「海くれて」を巻いたときのものである。
この句の前後は、
・・・・・・・
初ウ折立 降雨は老たる母のなみだかと 工山
初ウ2 一輪咲し芍薬の窓 東藤
初ウ3 碁の工夫二日とぢたる目を明て 芭蕉
初ウ4 周のかへると狐なくなり 桐葉
・・・・・・・
余もむかし、人並みに連句の会に混ぜてもらってそれをしたことがあるが、決めごとがたいへんで往生した記憶がある。才にも恵まれずおまけに人間嫌いな余はすぐに連句会からは足を洗った。
さて、芭蕉作の碁の句があちらこちらにあることから、芭蕉は碁が上手いとか碁キチだとか言われている。そうかなあ?
あのころの教養人は、人生の深みを増すために、和漢の古典の暗唱し、和歌漢詩を詠み、茶を点て、囲碁をたしなみ、謡を謡い、舞を舞い・・と、幅広くいろいろといそしまねば、周囲からは鼻にもかけてもらえなかった。
とくに俳諧連中は、そんな遊び人おっさんおばさん達の「連」であったので、ましてや俳諧の宗匠ともなれば、めちゃめちゃの教養人である必要があった。
そんなわけで、芭蕉は碁が上手いか下手かは知らぬが、普通の教養としてぐらいのツボを、しっかり押さえているだけかも知れないのだ。
余は、もし芭蕉が高有段者なみの実力があったとしたら、芭蕉という男の性格から、誰々と三日三晩碁を打ちあって、勝ったの負けたのとなにかをちゃんと残す人だと思っている。
連句以外で碁のことを詠んだ芭蕉の俳句を余は知らない。
連句の時のみ、碁がでてくる。
それは、普通に連句での句付けの調子や場展開での単なるモチーフアイテムとしての「碁」挨拶程度のものだと思うのだ。
そこで工夫の付句であるが、
東藤の描いた思い出の老母部屋の、一輪の芍薬の艶やかさに対し、芭蕉は、一輪の芍薬の花に、碁の対局場における緊張感を象徴させ、白と黒の盤上の宇宙空間を用いて、生の思いをいっぱいに広げてみせた。ここに於ける碁は勝負の世界ではなく、人生そのものとして扱っているのだ。と余は思う。
でも、違うという人も当然出てくる。
こんな風に、連句のやり取りは、とても頭でっかちで、ややっこしいのだ。人によって、教養によって、解釈や世界が変わるから、ときには感心も反発も、忖度もおべっかも、蔑みも疑問も、みんな入り交じってキトギトとするわけだ。
それが面白いといえば面白いが、めんどくさいところでもある。
だから、宗匠は絶対者として認められるのが、ルールとなるわけだ。
ところで、連句の巻き方には様々あるが、この工夫の句は「歌仙の初折裏の三」ということで、全体の流れの四分の一が終了したところだ。
早いもので今年も一年の四分の一が終わり、連句で言えば「初折裏の三」が終わったところだ。つまり25%終了だ。
梅白し昨日ふや鶴を盗れし 芭蕉
(うめしろし きのうやつるを ぬすまれし)
脇 杉菜に身擦る牛二ツ馬一ツ 秋風
昔中国に林和靖という隠者がおったそうな。
林和靖は風雅を愛し梅を妻に鶴を子供に見立て一生独身で過ごしたとかの変人じゃった。
芭蕉はこの故事をヒントに詠んだのだそうだ。
梅がきれいに咲いているのに鶴は何処へ・・あぁ昨夜盗まれちゃったのか。と越後屋一門の大金持ちの松風をいじくりからかった嫌みともとれる句である。
鶴を飼うなんて天子様や大名さんしかできないご時世であっても、越後屋さん、御主ぐらいだったらできるでしょとね。
越後屋さんはこれまた、鶴なんてがらじゃありませんよ。雑草を餌にして喰わせてる牛馬くらいしか飼えませんよ。ときた。
秋風は放蕩がたたって後に破産して寂しい余生を送ったということだ。
梅茶漬け昨日ふや白鶴呑みすぎて 半可ξ
(うめちゃずけ きのうやはくつる のみすぎて)
庶民は白鶴。これくらいの贅沢では破産などしない。てっか初めからこれでは破産しているのと同じか。
貞亨五年正月芭蕉は伊賀上野の小川風麦をおとなふ。
そこでの挨拶句だと。
「あこくそ」ってなんだ?
「あこくそ」は紀貫之の幼名だとか。
そんで、句の意味は「貫之の心も知らん顔で梅公はきれいに咲いているぜ」となる。
じゃあ、貫之の心ってなんだ?
それは、みんなが知ってる紀貫之の歌にあるらしい。
人はいさ 心も知らず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける
つまり、故郷で、梅の花は変わらずおれを歓迎して咲いてくれてるのに、人の情はすっかり変わっちまったと嘆く紀の父っさんの寂しい気持だ。
芭蕉は、「風麦さんよ。あいもかわらぬ人情たっぷりの大歓迎嬉しいぜ。」って、風麦に最大のよいしょをしているのだ。
西行の心も知らず月と花 半可ξ
(さいぎょうの こころもしらず つきとはな)
当地北の国の桜は旧暦卯月の望月の頃のちょい前に咲く。
西行さんのお歌とは二月も違うので、月も桜も西行さんのオーダーには添えないという悲しいおはなし。
願わくは 花のしたにて 春死なん
そのきさらぎの 望月の頃
因みに 今年の旧暦如月の望月は 3月12日
当地の桜の頃の旧暦卯月の望月は 5月10日
元禄二年九月二十二日付の杉風宛書簡にある句だと。
西行の追っかけファンの芭蕉が、昔西行が庵を編んだ伊勢の二見浦に来ている。
西行はいい具合の石を拾って硯にしたという粋な故事がある。
芭蕉くんもさっそく、西行さんの硯ではないかいなと窪んだ石を手にしてみたが、そいつはただの窪んだ石だった。でも、それはそれで風情があると思ったのだろう。
「西行上人二見浦に草庵結びて、浜萩を折り敷きたる様にて哀れなる住まひみるもいと心すむさま、大精進菩薩 の庵の草を座とし給ひけるかもかくやとおぼえき。硯は石の、わざとにはあらず、もとより水入るる所のくぼみ て硯のやうなるが、筆置場などもあるををかれたり。和歌の文台は、・・・」(西行上人談抄)
鎮紙にと拾ふやくろき石雫 半可ξ
(ちんしにと ひろうやくろき いししずく)
余は石ころを拾って鎮紙(文鎮)にして使っている。 これからこの石ころの銘を「雫」としよう。
貞亨二年。『野ざらし紀行』の旅中、奈良葛城の当麻村竹内の医師明石玄随宅にて。玄随の号が一枝軒。玄随を褒め称えた挨拶句。とある。
句の意は明石玄随の名声ももっともっと世に響けということだろうが、「ミそさ ヾい」が気になった。
この句は芭蕉くんのミソサザイに対する好き嫌い善し悪しで大きく意味が変わるぞと余は気になった。
鷦鷯ミソサザイは藪の中に棲む小鳥で小鳥界でも地味な存在だ。
ということは、玄随さんを芭蕉さんは、上から目線で(もっと大きく羽ばたんかい)と見ているのかなと。
それとも、そう簡単には姿を見せず、とても奥ゆかしく、ミステリアスで、ステキな存在として、逆にリスペクトしているのかなと。
宗匠という職業も気遣いいろいろとたいへんだ。
酔いの宛蕗の薹さヾれ味噌の皿 半可ξ
(よいのあて ふきのとさざれ みそのさら)
本日の散歩で再会した蕗の薹。やっと梅桜までひと月に漕ぎ着けた。蕗の薹は、細かく刻みごま油砂糖味噌で炒め練るとほろ苦く香りたちいい宛になる。
今年もソフトバンク・ホークスは強い。
ところで、芭蕉がホークスのファンだとは知らなかった。
この句は、ソフトバンク・ホークスは、優勝優勝と夢を見るより、今のように、目の前の一戦一戦を確実に勝利して進めば、昨年のような後半に逆転されることはない。実に頼もしいと仰っているのだ。
うらやましや。
余が応援する北海道日本ハム・ファイターズは、今日まで2勝。負けは6敗。北海道日本ハム・ファイターズも、現実をしっかり認識して、なんとか、たくましく強く変身していただきたいものだ。
夢よりも現を勇者猛反省 半可ξ
(ゆめよりも うつつをゆうしゃ もうはんせい)
五十才前後の句だそうだ。
辺り一面カラカラの茶色砂漠の冬の景色から、春雨は魔法のように春の彩りの世界へ変えてくれる。
まことに地味で静かな句なれども、生命へのリスペクト感溢れる句だと余は思う。
春の訪れの変化がひとつひとつ繋がって、映像となってじわじわと、北国に棲む老人のしょぼくれた脳みその内を刺激する。
アニメ・となりのトトロの菜園の芽が伸びていく、あのシーンを思い起こさせる句だ。
で、余の方はというと、
春雨やつい手をのばす麻婆味 半可ξ
(はるさめや ついてをのばす まーぼあじ)
お口直しに・・
貞亨四年五月十二日、44歳。
親友お弟子其角の母の五七日忌追善俳諧での句。ですと。
芭蕉も・・場所を心得た句だす。
卯の花も咲いて、季節にあるべきものもちゃんとあるのに、其角くんのお家には・・・ない・・ああこの空虚感・・
「冷じき」は「すさまじき」と読む・・らしい。
現代語界では「ひどく」とか「すごく」とか強い力にやられた感じが主に用いられるが、古語界ではむしろ、心の中での「不調和」感が主役で用いられた・・らしい。
よって、この句の「冷じき」は、親友お弟子其角が、失った心底からの空虚感を語っているということだ。了解。
今日の景色
卯月にも吹雪くこの日ぞ凄まじき 半可ξ
(うづきにも ふぶくこのひぞ すさまじき)
このすさまじきは猛烈にひどいの現代語界。
元禄五年、金沢の門人句空法師が「北の山」という句集を編集する。目玉は、芭蕉・其角・句空による半歌仙だ。
その半歌仙の発句がこの句、つまり、芭蕉による句空への挨拶句である。その後はもっぱら其角と句空の二人で巻き上げている。
国立国会図書館のDCにあるので興味のおありはご覧ぜよ。
さて、余のやま桜は
うらやましがらせよ北のやま桜 半可ξ
(うらやまし がらせよきたの やまざくら)
国道5号の手稲富丘の蕎麦屋「やま桜」である。
ご存知北海度は日本一の蕎麦の生産地ではあるが、一方、いい蕎麦屋が少なかった。ところが、ちかごろぼつぼつと真面目ないい蕎麦屋が出始めた。
やま桜もそのうちの一軒としましょう。
でもね、実は、
一般的な札幌の蕎麦屋の傾向は、つゆが弱く甘い。
これが道民の味文化だとすれば、それはそれでがまんしよう。
してください。
貞亨元年ごろ。浅草に住む門人千里を訪ねての挨拶句。
その節ご馳走になった海苔のお味噌汁の味を愛でていると言うわけだ。
ある解説には、よそって出されたお椀は高級漆器の「浅黄椀」で、手際・味・見た目の良さを芭蕉は誉めているなどとあるが、余はそんな馬鹿なと思う。
ここは料亭でもあるまいし、道具を誉めてどうするんじゃ。
ごく普通の椀に、パッと海苔のみどりが映えて旨そうな景色に、芭蕉先生は「浅黄椀」と高級漆器を洒落て誉めたのだと余はしたいね。
ところで、浅葱色とは、葱藍 たであいで染めた薄い藍色のこと。浅葱とは薄い葱 ねぎの葉に因 ちなんだ色で、平安時代にはその名が見られる古くからの伝統色だそうだ。
色のコードは 00A5BF
近ごろ日ハム負けてばかりで、アマゾンプライムビデオで深夜食堂を見ることがふえた。
とんじるの手際見せけり深夜食堂 半可ξ
(とんじるの てぎわみせけり しんやしょくどう)
「すさむ」は「遊む」もあるし「荒む」もある。
ここでは気ままに筍の絵を描いて遊んだものだというところだ。
さてさて、もの知り御仁にお聞きしたい。
芭蕉の手になる俳画をご存知かと。
芭蕉の絵のセンスがいかほどであったかによりこの句の扱いを考えたい。
添付はずっと後の絵の描き方見本「景年習画帖」の筍。
半可ξは、毎年一度は筍をゆでて土鍋で飯を炊く。今年は熊本産。
食い気が勝り、スケッチもせず。ざんねん。
竹の子や老ひたる爺の味のすさみ 半可ξ
(たけのこや おいたるじじの みのすさみ)
元禄三年弟子に宛てた手紙にある句だそうだ。
おいら芭蕉には荘子の「胡蝶の夢」のように、君はチョウチョとなって楽しげに羽ばたいているように見えるぜ。君は今とてもハッピーだハッピーだ。といっている。
元になる話は「胡蝶の夢」といって、「荘子」の寓話に哲人荘周が、蝶になって花の世界を何の屈託もなく遊び暮らす夢を見る。やがて目を覚ますと、自分が居る。
本当は自分が蝶になる夢を見ているのか、蝶が自分になる夢を見ているのか、ようわからんと悶々とするというオチがある。
芭蕉が弟子に対し、夢と現の混乱の時の到来を、「暗に」警告をしているとすれば、芭蕉というお人は、実に・・皮肉がきつい性格のオッちゃんだと、余は身震いをする。
おい弟子や、いいことも悪いことも結局は自分の身の上に起こることよ・・・おれは知ってるぜ。とかハッキリ言ってよ師匠。
司馬遼太郎の「胡蝶の夢」は、幕末の激動期夢に燃え洋学文化を求める多くの男達の姿を描いている。時代のスポットライトをあびた彼らも、蝶になりおのれに帰り、現実の荒波にもまれ、浮いたり沈んだり。
その中に、余が好きな、長崎出身の写真師内田九一の記述もチョビットある。
五六万内田九一が遺産金 半可ξ
(ごろくまん うちだくいちが いさんきん)
岩倉具視の右大臣月俸が六百円(明治四~十六年)。
内田九一の記述はチョビットだが遺産金は当時的にはけっこうなものだった。
延宝九年(天和元年)。芭蕉三十八歳の作。
先ず言葉の説明
花はもちろんサクラ
坐はそそると読むらしく、心が浮き立つことをいう
浮法師はうきぼうしと読み、浮ついちまってハメを外した坊主らしからぬ破戒坊主
ぬめりはエロ気づいたという意味で、主に女に使う隠語
つまり、お花見の狂態を詠んでいるわけです。それで句の調子もハメを外して遊んでいるくらい滅茶滅茶でんねん。こんなのを俳諧っうわけです。
北の国のサクラはまだまだですが、辛夷は咲き始めました。
雪解の湿地には水芭蕉がチラホラと・・。
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花まだぢゃ清水に芭蕉ぞろぞろと 半可ξ
(はなまだぢゃ しみずにばしょう ぞろぞろと)
今も昔も民のそそる祇園の夜桜見物(文久二年・再撰花洛名勝図絵・東山之部・一/日文連DBより)と、あまりそそらない昨日今日の水芭蕉。
蛇足;花洛名勝図絵はそそるそそる。特に幕末好き人は目を通すと気分が乗るぜよ・・
貞亨元年(41歳頃)頃から死の元禄七年(51歳)までの間の作だと。『続寒菊』に「この句は楚舟亭におはしたる時、「初めて見えたる人に対して」との端書あり」とあると。
さて、「見ぬ世の人」ってなんだべ。
徒然草で兼好法師は「見知らぬ世界の人」つまり、孔子さんとか孟子さん・・だが、芭蕉くんは「初見の人」つまりよく知らぬ一見さんってことらしい。
では、「御意を得る」ってなんだべ。
むろんお言葉を戴くということだ。
どんな内容のお言葉かがこの句の理解上の問題だワサ。
ううむムズカシイ・・いや否、そうでもない。
兼好法師徒然草第百三十九段
「家にありたき木は、・・・梅は白き、薄紅梅。一重なるが疾く咲きたるも、重なりたる紅梅の匂ひめでたきも、皆をかし。・・・」。
初見のオッちゃんが、よせばよいのにしたり顔で、「兼好法師も『重なりたる紅梅の匂ひめでたき』と仰ったすよ。」と芭蕉くんに蘊蓄をご披露したのだろうよ。きっと。
芭蕉くんは、そんなの先刻ご承知だけどの意を込めて・・そうとう皮肉っぽく「御意を得る」とやったわけだ。
根が、かなり意地悪質の芭蕉くんでした。
もろもろの復古主義の風潮に皮肉をこめて、根が、かなり意地悪質の余もひとつ川柳で
行く末や見ぬ世の人に御意を得る 半可ξ
(ゆくすえや みぬよのひとに ぎょいをうる)